福祉関係者の間では、近年「8050問題」ということが、取り沙汰されているという。
これは、「主に80歳代の親と50歳代の子が困窮し、世帯ごと孤立する」* 問題である。
精神の疾患や障害、引きこもり等の理由で、安定した収入をもてないまま、50歳代になってしまった独身の子と、80歳代になった親との二人世帯が直面する問題だ。
親の年金収入で生活してきたものの、親が医療や介護を必要とする状態になっても、福祉による適切な支援を受けることができない。そして最悪、親子ともに餓死するという結果を招いてしまう。
(より詳しくは、トラックバック先の記事と、そこに記されたリンク先を参照願いたい。)
この問題をネットニュースで知った際、これは他人事ではないと感じた。
私自身も、高校時代に発症した精神疾患を克服しきれず、正社員として就職できないままに、50歳代になってしまった者であるから。
父親は既に亡く、80歳代半ばになって広義のがんに罹患した母親の介護を、非婚で一人っ子である私が、一手に引き受けている二人世帯である。
まだまだ残存する身体症状ゆえに、自分の生活すらも、キチンと維持できてはいない。そんな状態で、親の介護など、マトモにできるわけもない。
老老介護ならぬ、病病介護である。
それでも私は、27歳からパート勤務に出ることができた。非正規雇用とはいえ、勤続25年となり、時給も1000円を越えている。ささやかな賞与を加えれば、年収も200万円を越え、ワーキングプアの定義に当てはまらない程度に達している。
母の入院中に、要介護認定申請を勧められ、申請を行って認定を受けられたために、福祉の支援も、少しは受けられるようになっている。
とはいえ。収入が心もとないのは確かである。そして、私の体調不良により、母の介護が、衛生や栄養面で行き届いていないことも、否定できない。
家の中外も、ケアマネが入る居間以外は、ゴミ屋敷と化している。いや、居間のみは片づけるということすら、次第に守れなくなってきている。
本当に、最低限ギリギリのところで、親子ともども、何とか生きているという状態である。
私個人に対する医療や福祉の援助が、一切なされていない現在の状況は、かなり危ういものであると感じる。
一時期は、激しい「怒り発作」にみまわれ、怒り狂って泣き喚き、声をからすことも少なくなかった。物に当たり散らし、両の拳で床を叩いたり、足を踏み鳴らしたりして、手や足を痛めてしまうこともあった。時には、介護〇人などという単語が、脳裡に浮かぶこともある。
もし万一、私が介護〇人などに至ってしまったら。福祉や医療関係の人々は、「なぜ、娘さんの苦しみに気づけなかったのだろう。娘さんの方のケアができなかったのだろう」と、後悔することになるだろうか。
そして勤務先では、「ストレスチェックで高ストレス状態と出ていたのに、なぜ、充分なケアを…」と反省することになるだろう。
隣近所の人々は、「あの、大人しい真面目そうな娘さんが…」と思う反面、「そういえば。ちょくちょく、大きな怒鳴り声がしていたな。でも、そうそう干渉できないし。一言、相談してくれていたらなぁ…」という感想を抱くことになるかもしれない。
私の家は、病病介護であっても、8050問題の近くにいても、最悪の事態だけは、何とか回避できる。
この私が、心理治療に関するセミプロであるがゆえに。自身を治しきることはできなくても、セルフケアをしながら病とつきあい、日々をもち堪えてゆくことができるはずだ。
だが、全ての家が、最悪の結果を回避できるわけではないだろう。
8050問題世帯の子どもに、セルフケアの知識がなく、問題解決や治療の意欲を欠いていたら。誰にも相談できず、どこからも救いの手が差しのべられなければ、最終的には親子ともに生命の危機にさらされることは、十分にあり得る。
折しも昨年末に、「内閣府は、来年度に中高年(40~59歳)のひきこもりに関する実態調査を行う」という報道がなされた。
来年度に調査をして実態を把握するのでは、本格的に対策が講じられるのは、何年も先になるだろう。
8050問題の世帯にいる人々が、自分の方から周囲に助けを求めることは、少ないだろう。
彼らを救うことができるのは、福祉・医療行政やNPO団体の活動。あるいは、地域のボランティアや隣近所のつながりといったものであろうか。
いや、それ以前に。ひきこもりに由来する8050問題ならば。
そもそも、ひきこもりが長期化し、子どもが50歳代になるまで放置されていたということが、一番の問題である。
青少年のひきこもりを、長期化させないこと。中高年になっても、ひきこもりが治らないという事態をなくすことが、何よりも重要ではないだろうか。
注*
「老い2016 孤立と闘う 働かない息子と困窮」読売オンライン 2016年4月3日