10.29
終わったら赤飯─更年期万歳!
なぜ赤飯なのかについては、諸説あるようだ。だがそこに「子どもを産める身体になった=大人になったこと」を祝うという目的が存在することは、間違いない。
「大人の女性の価値とは、子どもを産むことなのか」といった議論は、今回は止めておく。
世間一般には、そのような風潮があったという現実を、確認するのみだ。
けれど私はむしろ、それが始まったことではなく、終わってくれたことを、祝いたい。それこそ、赤飯でも炊いて。
なぜなら、子どもを産むどころか、その前段階である行為ですら、絶対にしたくない身としては、毎月のこれは、不要な苦痛でしかなかったからだ。
月経困難症と月経前症候群のため、日常生活・社会生活に支障をきたす状態が、ひどいときには、ひと月の半分以上に及んでいた。
マスメディアでは、「生理痛は我慢しないで、医師に相談しましょう」などと、語られることがある。
だが、その言葉を真に受けて婦人科の戸を叩いても、器質的な病気が存在しない以上、さほど有効な治療が受けられるわけではない。
私も一時期は、ホルモン療法をしてみたが、副作用が出ただけで、効果はなかった。
テレビの健康番組で、月経困難症に苦しむ者に対して浴びせられる、トドメの言葉は、「子どもを産めば治るよ」である。
通り道が狭いから辛いのであるから、子どもが通れば…ということであろう。
ならば、この苦痛は、産まない者に対する罰だとでもいうのか?
そのような状況であったから、私は、歳をとって、それが終わる日の来ることを、指折り数えて待ち望んでいた。
それが終わったかどうかは、始まりと異なり、なかなか、はっきりとはわからない。
それでも、何年も来なければ、確かに終わったのだと思える。
やっと、終わってくれた!
毎月の、心身の苦痛や不快がなくなっただけでなく、ホルモン分泌のサイクルが変わったために、長らく苦しんできた身体症状(自律神経症状)も、軽快、ないし消失した。
多くの方は、この時期に不定愁訴(いわゆる更年期障害)に、苦しめられる。
だが私は逆に、不定愁訴から解放されたのだ。
小学生の頃から、不定愁訴(身体医学的な異常が認められない、様々な身体症状)に苦しんできた私としては、これまでの人生で、最も体調がよくなったわけである。
精神疾患を抱えながら、親の介助・介護をするのは、大変である。それでも、どうにか日々を過ごせているのは、この体調の好転があるからだ。現在でもギリギリなのに、あの苦痛が継続していたら、とても無理だっただろう。
今現在、月経困難症や月経前症候群に苦しんでいる方に対し、「終わるまで待ちなさい」と言うことはできない。
何とか、よい治療や対処法に出会って、毎月の苦痛や生活上の支障が、軽減されることを願いたい。
けれど。
そうしたものにめぐりあえず、「一生、この苦痛を背負ってゆかねばならないのか」と、絶望的になったときには、思い出してほしい。
この苦痛には、終わりがあると。その時期は、50歳前後と、ほぼ定まっているのだと。
平均寿命が長くなった現代においては、そうやって、身体が更(あらた)まってからでも、よき人生は送れるのであると。
世の中には、それが終わったことをもって、女でなくなってしまったと、ショックを受ける方も、いると聞く。
その感じ方を、否定するつもりはない。そうした方面に価値を置く女性の方も、少なくはないのだろう。
ただ私は、上に記したような事情で、「更年期万歳!」と、叫びたい。
この感じ方も、否定しないでいただきたいと、思う次第だ。
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