40年近くかけて神経症性障害を乗り越えたものの、母親の介護で大変な日々の思いを発信しています。アニメの研究による博士号取得は、しばらくお休み。

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「受け入れる」と「あきらめる」は違うのに…

「コンディションが回復するまでのつなぎ・その2」として。
まともな文章として、発信するに至らないつぶやきを、掲載しようと思う。

体調が悪すぎて、逆に寝つけない夜。メンタルヘルスカテゴリの新着記事を、当てもなく乱読していた。
そこで、「自分は病気を受け入れない。受け入れることは、人生をあきらめることになるから…」という記事に出会った。

それは違う。この人は、勘違いしているのだと思った。
「受け入れる」ことは「あきらめる」こととは違う。
人は、現状・現実を受け入れることによってはじめて、今の自分を乗り越えて成長してゆくこと、変わってゆくことができるのだ。
それは、様々な心理療法理論においては、常識的なことである。だが、世間一般では、誤解されがちなことでもあるようだ。

けれど今の私には、両者の違いを記事の書き手にわかるように、伝えることはできないと思った。
だからその記事に対し、何のコメントもすることはできなかった。
手をこまねいているうちに、その記事を見つけることすらできなくなってしまった。

自分の言葉で、わかりやすく説明すること、うまく伝えることができないならば、手っ取り早く説明してくれているサイトの類いを示そうと思った。
だが、私の検索スキルでは、それらを過不足なく説明しているサイトを見つけることはできなかった。
ネット上には、「受け入れる」ことと「あきらめる」ことを混同した文章の方が、圧倒的に多く存在するのである。

辛うじて見つけられたのは、吃音の克服に特化した以下の文章。
http://kitsuonchiryou.com/ukeireru-600.html
記事の本文と、それへのコメント。
ここでは、「受け入れることはあきらめではなく、問題解決の第一歩である」ことが、端的に記されている。

そしてこちらは、「受け入れる」と「あきらめる」の違いをわかりやすく語ってくれる、著述家の方のサイト。
http://www.shiawasehp.net/diary/200506/28.html
特に心理関係の専門家というわけではないこの方の話は、一般向けでわかりやすい。
(上から目線で申し訳ない。私自身は、申請すればカウンセラー資格をもらえる程度には、専門的な勉強をしてきた。学士論文のテーマは森田療法であり、他の心理療法理論も渉猟しているため、素人というわけではないのだ)。

今一度言う。「受け入れることと、あきらめることとは違う」。
今の私には、上の記事を示すことでしか、このことをうまく説明できない。

それでも、この真実をできるだけ多くの方に伝えたいと思い、このように中途半端な記事を、掲載した次第である。
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C

omment

No title
私のなかでは
『受け入れる』は
現状・現実が何であるかを
本質を理解し、
或いは理解する努力をし
それとどのように付き合うかを
自発的に考え、選択する

『諦める』は
現状・現実に対して
理解する努力も行動も起こさない

と、考えています。

自分の感覚を文章にするのは
難しいです。

min*_*lue*200 URL | 2017/10/15 06:30 [ 編集 ]

No title
夜分にコメント失礼します。
私も受け入れると諦めるは違うと思います。
諦めそうになった事ももちろん多々あります。
私は精神的なことについてですが、
身内に脳梗塞の方がいて、その方は本当の意味で
受け入れていると感じたのです。
その状況でできること、楽しめることやっています。
私はそれを見て、自分が動けない時があったとしても、
それを受け入れてまだまだ少しでもできる事、
楽しめる事、しないとなあ。と思えるようになりました。

私は精神的なことですらできない事にあがきましたから・・・
私がもしそういう状況になった時にそういう行動ができるかどうかは
現時点でもわかりません。
ただ、人から見れば一部分しか見れてはいないと思うので
何もしていない人と思われてしまうことは理解ができます。
これも受け入れるしかないかとは思うところです。

- URL | 2017/10/19 03:34 [ 編集 ]

No title
こんばんわ♪( ´▽`)

体調いかがですか?

受け入れとは、私の中では認識と捉えてます。

理解です。

大丈夫です💪

han URL | 2017/10/21 23:09 [ 編集 ]

No title
「受け入れる」と「諦める」が混同されやすいのは、目的意識の差にあるのではないかな。

現状を受け入れることで、「いまどこまでのことができるのか」を把握して、更にステップアップするにはどうすればいいのか、がわかるわけですが、逆に言ったら、「ここまでしかできない」ことに直面するわけで、気持ちが折れると「諦める」ということになるのかなと。

ただまあ、自分に出来る分を大きく越えた望みを抱いて、現状把握もしないでただがむしゃらにしがみついてもそれはただの悪あがきなんですが。

Tハンター URL | 2017/10/28 19:16 [ 編集 ]

No title
例の「レリゴー」、日本語版では「有りの侭でいいのよ」となっていて肯定感に溢れてますが、実際は「そんなもの放ったらかしちゃいなさいよ」なわけで、親の期待になんとか応えてきたけどもう限界だからいい加減ヤメよ、ヤメヤメ! っていう。たしかに有りの侭でいくわよ、ではあるんですが、ややネガティブな方向の意味合いなわけです。

とはいえ、この場合なんかは諦めた結果自分を取り戻して楽になっているわけで、諦めることが必ずしも悪いことではない、ケースなわけですけれども。

Tハンター URL | 2017/10/28 19:30 [ 編集 ]

No title
仏教のほうで「諦」というと、「たい」と読んで「真理」みたいな意味になるわけです。サンスクリット語で「真理」を指す「サティア」の音に近い漢字を据えた、いつもの中国式あて字のようにもみえますが、実際問題として「諦」には「明確にする」という意味があるわけで。そもそも日本語の「アキラめ」という音にしてからが「明らか」からの派生であることを示唆しているわけでもあり。
仏教というのは執着を取り除くのが目的ですから、問題を明確にすることで執着をアキラメるのは全く悪いことではないわけです。

Tハンター URL | 2017/10/28 20:33 [ 編集 ]

No title
> Tハンターさん

とりあえず、↑↑だけ。
ああ、これはですね。
最初の方へのリコメに書くつもりだったのですが。
これを書いてしまうと、本記事で私が伝えたかったこと─あきらめるを望ましくないことと捉えるという前提─がボヤけてしまうので。
その点のこだわりで、この語をひらがなで表記して、「諦める」や「明らめる」にはしなかったのです。

本当に、多義的な、あるいは本来の専門用語の意味とは異なる使われ方をしている語を使用して、何かを伝えようとするのは、難しいです。

ハナさん* URL | 2017/10/28 20:51 [ 編集 ]

No title
> himawariさん

コメント、ありがとうございました。
身近に、辛い現実を受け入れつつも前向きな方(あるいは、受け入れたからこそ、前向きになれた方)がおいでになると、この「受け入れるとあきらめるは違う」ということが、よくわかっていただけると思います。

その、受け入れるべき具体的な内容が、
身体の重大な病気や障害であったりすると、受け入れるのも容易ではなくなるでしょうが…。

ハナさん* URL | 2017/10/29 02:30 [ 編集 ]

No title
> min*_*lue*200さん
ご自身の語釈を教えていただき、ありがとうございました。
この語は、人によって解釈が大きく異なるものだと思います。
(言葉にはみな、その傾向がありますが)。

「あきらめる」も、「諦める」と書くと、仏教的な諦念や四諦などに由来する意味が前面に出てきて、「明らめる」と書くのが適切な、ポジティブな意味になる。
けれど、この辺のことを記してしまうと、私の言いたかったことの焦点がボケてしまうので、こうした方向性は割愛しました。

あきらめることが、全て悪い…望ましくないわけではありません。
そうするしかない。いやむしろ、そうすべき時もあるでしょう。

けれど、本記事で述べたようなケースでは、あるいは、メンタルヘルス界での常識としては、「受け入れるということは、(後ろ向きで望ましくない)あきらめとは違う…」と、主張するしかなかったのです。

本当に、ケースバイケース、時と場合による。
でも、あらゆる場合を網羅し切れないのなら、ピンポイントで絞って語るしかない。
多義的な語を使用して、世に何かを訴えかけるというのは、難しいものです。

ハナさん* URL | 2017/10/29 02:58 [ 編集 ]

No title
> hanさん

ご心配、ありがとうございます。

ようやく、少しずつ復活してきております。

この記事に関して、多くの方が、自身の語感・語釈を記してくださいました。
人それぞれで、その方というものが出ている気がします。

ハナさん* URL | 2017/10/29 03:02 [ 編集 ]

No title
> 雉雀さん

うん。だから結局、その「意訳」の部分が重要になってくるわけですよね。
言葉だけの意味についてなら、他の方へのリコメにあるように、私も、色々な方向性・意味合いを認めている。
語釈を言い出したら、記事では「違う」と言っていることも、全然違わなくなってしまう。
私だって、受け入れた結果あきらめたことは、たくさんありますから。
本当に、ケースバイケース。

意訳の部分で「いや、それは違うでしょ」と、強く思える記事だったので、意訳として、そういうことを主張する記事を書いたわけです。

この記事で言っている「受け入れる」というのは、「(事実や現実を)認める」とほぼイコールなわけで。

私の中では、キューブラー=ロスの「死の受容・5段階説」が、否認から始まり受容で終わることとか、死の受容ということの考え方が、日本では(否定的で後ろ向きな、あきらめと異なり)肯定的で前向きだとかいった話が、念頭に置かれていたのでした。
(この話は、ネット上でも簡単に見つけられます。)

ハナさん* URL | 2017/10/29 03:25 [ 編集 ]

No title
はじめまして。

「受け入れることはあきらめではなく、問題解決の第一歩である」
この言葉、よくわかるなー

私は、数ヶ月うつ病で休んでたので、年と共に、心も体も弱くなったのかな?と受け入れてから、イケイケだった過去の行動を変えて、だいぶ気持ちが落ち着きはじめました

大人たちの夢のブログ URL | 2017/11/05 21:53 [ 編集 ]

No title
> 大人たちの夢さん

コメント、ありがとうございました。
共感していただけて、うれしいです。
私が述べたい「受け入れる」と「あきらめる」の違いは、微妙なところなので、体験的にわかっていただける方にお会いできると、心強く思います。

ハナさん* URL | 2017/11/11 23:37 [ 編集 ]

No title
受け入れるって認めることだけれども、ここにはまだ自分がどうしたいのかという選択肢と可能性があります。でも諦めることは、破壊にしかつながりません。
病気だという選択、治りたいという選択、治したいという選択、治ったという選択、健康だという選択などがありますが、この選択によって結果が異なってきます。
やはり健康だ!という選択がベストです。この世は鏡であり自分から出る波動と同類のものを引き寄せます。シンプルです。
自分から出たものが自分に返ってきます。

kuj*ras*i URL | 2017/11/26 10:43 [ 編集 ]

No title
> kuj*ras*iさん

コメント、ありがとうございました。
「受け入れる」と「あきらめる」を混同するか否かは、結局のところ、当人の意識・視点がどこを向いているかによって、決まるのかもしれませんね。

私の場合はあくまでも、前に進む・上を目指すことが前提になっています。
病気を治す、症状を乗り越える、社会復帰を果たす、生涯の夢に向かっていく、よりよき人間になる…等々。それらを可能にするためには、何をどうしなければならないのか。
そう考えたとき、それらを目指すのに必要なのは、自身の現実を否定するのではなく、認めて受け入れることである。人は、そこからしか前進できない、という解釈でした。

はっきり言って私には、単なる言葉遊びや、机上の語釈論議をするつもりはありません。
そしてこの話は、治ろう・向上発展しようという意思が希薄な方には、通じないものなのかもしれないと、感じております。

ハナさん* URL | 2017/11/26 17:03 [ 編集 ]

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| 2019/12/14 20:53 [ 編集 ]


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プロフィール

ハナさん*

Author:ハナさん*
2019.5.26付けで、Yahoo!ブログから移行してきました。
上記日付より前の記事は、Yahoo!ブログで書かれたものです。

移行から2年経過したのを機に、ブログタイトルを変更いたしました。
あわせて、紹介文も更新。

*代用ゲストブックあり
「カテゴリ」からどうぞ

〔ブログ紹介文〕
誰もが、たやすく発信者となれるネット時代。

文章で社会改革ができると思い込んでいたのは、若さゆえの過ちにすぎない。
けれど。
それでもまだ私は、文章を公表することは、無意味ではないと信じたい。

私がここに記すのは、単なるつぶやきの類いではない。
社会に向かって訴えたいこと、公表する意味があると思えることのみだ。
若い頃のように気負い込んで、大声で叫ぶことはできないけれど。

病気ではなく、障害でもなくても。諸々と生きづらい、おひとりさま介護の日々においても、光を求めて!

〔自己紹介〕
高校1年で発症した神経症性障害(身体表現性障害[身体症状症]その他)を、40年近くかけて乗り越える。
校正者として、非正規雇用勤続30年。数年前から校閲の仕事も行う。

1990年代、森田療法の研究で学士号取得後、カール・ロジャーズの直弟子が講師であるカウンセラー養成講座で単位取得。
地元の民間心理相談機関でセラピストのインターンとなり、各種心理療法を学修するが、自分は援助職には向いていないことを痛感。

アニメーションの研究で修士号取得。
博士課程・単位取得満期退学。
現在、博士論文のテーマを再検討中。専門は、巨大ロボットものの予定。

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