40年近くかけて神経症性障害を乗り越えたものの、母親の介護で大変な日々の思いを発信しています。アニメの研究による博士号取得は、しばらくお休み。

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母、4年以上ぶりに浴槽につかる

先日、母が、訪問入浴の介護サービスを受けた。

私だけでなく、ケアマネや訪問看護師がどれほど働きかけても、どうしてもデイサービスに行こうとしない母に対しての、最後の手段だった。

私個人は何となく、訪問入浴サービスは、寝たきりに近い状態でないと受けられないものなのだと、思っていたのだが。
何のことはない。要介護1から、受けることができたのである。

ケアマネは、あくまでも「何とかしてデイサービスに……」ということにこだわっていて、訪問入浴の「ほ」の字も、選択肢に出さなかった。
だから、わが家の要介護レベル(要介護2)では、訪問入浴サービスは受けられないと、思い込んでしまっていた。
今年の春から受けていた訪問看護サービスの訪問看護師が、訪問入浴という選択肢を口にしたことで、ようやく、そうした道もあることに、気づくことができたのである。

もっとも、その訪問看護師も、私が訪問入浴に乗り気だと職場で同僚に話したら、「自力でそれだけ動ける状態なのならば、訪問入浴サービスを受けるのは、(サービス料金が)もったいないよ」と、口を揃えて言われた、などと言っていたのだが。
やはり、「できるならば、デイサービスに行った方がよい」というスタンスではあったのだが。

たとえ外野がどう言おうと、当人がどうしても嫌だと言い張るのだから、仕方がないではないか。
それに、昨今のコロナ禍の状況を考えれば、私自身、デイサービスに出すよりは、訪問入浴の方が安心である。

介護サービスというのは、周りがこうすべきだと決めるものではなく、利用者本人とその家族が自由に決めるべきものだろう。
それぞれの家に特有の事情や、様々な状況に応じて、きめ細やかにサービスメニューをコーディネートするのが、ケアマネの腕の見せどころではないのだろうか。

と、いうわけで。ケアマネや訪問看護師の思惑よりも、母の意思とわが家の事情を優先して、訪問入浴サービスを受けることに踏み切ったのである。
幸いにも、たまたま土曜日の午後に空きができたというので、そこに入れてもらった。
最初は、当然のように、毎週サービスを受ける予定を組まれてしまったが、それは私が無理だからと、隔週にしてもらった。

訪問入浴サービスを受けるには、一畳半ほどのスペースが必要だということである。ゴミ屋敷の中に、それだけのスペースを確保するのは、なかなか大変な作業であったが。現在のわが家の状況ならば、どうにか可能だった(昨年までは、到底無理な話であった)。

そのようにして、先週の土曜日の午後、母が訪問入浴サービスを受けるに至った。シャワー浴で身体を洗い・流すだけでなく、浴槽に全身をつけることができたのである。
母が浴槽につかったのは、4年ぶりくらいである。
だが4年前に入浴した際は、肩までつかることはできていなかった。浴槽の中にイスを置いて座るため、浴槽に湯をいっぱいに張ったとしても、胸辺りまでしか、お湯がこなかったのである。
全身を湯につけることができたのは、以前、奇跡的にデイサービスに行ってくれた折、6年前の秋以来だろうか。

最初のうちは、何事が始まるのか、何をされるのかと、驚き、警戒していた母であったが。実際に湯につかって、全身を洗ってもらっているうちに、気持ちがよくなったのか、だんだんと機嫌がよくなり、ついには、
「うれしくて涙が出てきた」
などと、のたまっていた。

どんなに、あれは嫌だこれも嫌だ、入浴なんて必要ない、と言い張ってはいても。不潔にしているがゆえに、身体がかゆくてかゆくて、不快であることは、間違いないのであるから。

こうやって、ある程度は強制的に、清潔のための介護サービスを受けさせることも、時には必要であるのだろう。

私としては、母の介護がキチンとできていないこと─何年もマトモに入浴をさせていないこと─が、ずっとずっと心に引っかかっていた。
どれだけ、「わが家の状況では無理なのだから、仕方ない」とか「本人が、どうしても嫌だというのだから、仕方がない」と割り切ろうとしても、割り切れるものではない。

娘として、当然なすべき義務を果たせていないという自責の念は、抜けないトゲのように、心の奥に刺さったままであった。

それがやっと。訪問入浴サービスを受けるというかたちで、問題を解決することができた。
ケアマネが、何とかのひとつ覚えのように、「デイサービス」の語を繰り返すだけだったのに対し。訪問入浴という道を示してくれた訪問看護師に、感謝である。

その家が抱える問題に適した介護サービスを、柔軟に選択することによって、介護者の負担や心配は大きく軽減される。
介護サービスのコーディネートは重要だと、あらためて思った次第である。

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テーマ : 介護
ジャンル : 福祉・ボランティア

Tag : 介護  ゴミ屋敷  寝たきり 

C

omment


頑張っていますね、いつもブログ拝見して強がりの感じがしますが(ごめんなさい、私の一方的な感じ方です、)親を思う心、優しさが伝わってきました。いつまでも気持ちを大事にして頑張って下さいね。

hiro3749 URL | 2022/11/13 20:59 [ 編集 ]


親を思う心、優しさが伝わってきました。いつまでも親子が寄り添い心が満たされること大事にしてください。

hiro3749 URL | 2022/11/13 21:08 [ 編集 ]


職場でも入浴を嫌がっていた利用者がいざ浴槽に浸かると、喜ばれるのを何度か見たことがあり、実際は入りたかったのかも、と感じることがあります。
だから、今回お母さまが入浴されたことが喜ばしいと感じました。

土曜日になったのは、お仕事と被らないようにするためなのですね。
記事にもあるように、サービスの計画は、受け手とその家族の事情や状況を考量することが大切なのだと思いました。
一つ気になったのですが、今回まだお母さまは警戒されていたようですが、浴槽に浸かることができたのは、やはり信頼関係が構築され、入浴されることを(不承不承であっても)了承されたのですか?
お母さまが入浴を拒否されていたこと、羞恥心や水に浸かる恐怖なのでは、と勝手に考えたりしますが、だからこそ、そうしたことを乗り越えて入浴出来た背景が気になりました。

八手3 URL | 2022/11/14 21:12 [ 編集 ]

Re: hiro3749さん
コメント、ありがとうございました。
拍手を非表示にしたため、拍手コメントではなく、こちらにコメントをいただけたのでしょうか。

強がり……。そんなの、当たり前ではないですか。

弱い自分そのままで、一人で座り込んで、「私もうダメ~、誰か何とかして〜」とか言っていても、誰も何にもしてくれないのですよ。

誰も代わってくれない。誰も助けてくれない。誰にも相談できない。誰も負担を肩代わりしてくれない。
ならば、自分で何とかするしかないではないですか。
どんなに無理でも、必死に強がって、一人で懸命にがんばるしかないじゃないですか。

介護サービスなんか受けたって、私の負担は、増してゆくだけなのですから。

ハナさん* URL | 2022/11/23 20:05 [ 編集 ]

Re: 八手3さん
う~ん。どうしても、信頼関係がどーしたとか、そういう話になってしまうのですね。
お仕事がら、そういうことを理想化してしまう向きがあるのでしょうか。

そもそも母は、入浴することを嫌がっていた・拒否していたわけではありませんよ。
足の麻痺や痛みで立ち歩きが困難なため、デイサービス等に行くこと、浴室まで行くことを、嫌がっていただけです。

私にしても、母の入浴をあきらめた際、浴槽が母の寝ている目の前まで来てくれるのなら、母だって入浴は可能だと思っていました。
けれど、ケアマネはデイサービスに固執するし。要介護1で訪問入浴サービスを受けられるとは、夢にも思いませんでしたから。

なので、その後の考察は全て、全くの見当外れです。
だいたい、そんな10分足らずのうちに、信頼関係なんて、構築できるはずがないじゃありませんか。

ハナさん* URL | 2022/11/23 20:17 [ 編集 ]


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Author:ハナさん*
2019.5.26付けで、Yahoo!ブログから移行してきました。
上記日付より前の記事は、Yahoo!ブログで書かれたものです。

移行から2年経過したのを機に、ブログタイトルを変更いたしました。
あわせて、紹介文も更新。

*代用ゲストブックあり
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〔ブログ紹介文〕
誰もが、たやすく発信者となれるネット時代。

文章で社会改革ができると思い込んでいたのは、若さゆえの過ちにすぎない。
けれど。
それでもまだ私は、文章を公表することは、無意味ではないと信じたい。

私がここに記すのは、単なるつぶやきの類いではない。
社会に向かって訴えたいこと、公表する意味があると思えることのみだ。
若い頃のように気負い込んで、大声で叫ぶことはできないけれど。

病気ではなく、障害でもなくても。諸々と生きづらい、おひとりさま介護の日々においても、光を求めて!

〔自己紹介〕
高校1年で発症した神経症性障害(身体表現性障害[身体症状症]その他)を、40年近くかけて乗り越える。
校正者として、非正規雇用勤続30年。数年前から校閲の仕事も行う。

1990年代、森田療法の研究で学士号取得後、カール・ロジャーズの直弟子が講師であるカウンセラー養成講座で単位取得。
地元の民間心理相談機関でセラピストのインターンとなり、各種心理療法を学修するが、自分は援助職には向いていないことを痛感。

アニメーションの研究で修士号取得。
博士課程・単位取得満期退学。
現在、博士論文のテーマを再検討中。専門は、巨大ロボットものの予定。

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