40年近くかけて神経症性障害を乗り越えたものの、母親の介護で大変な日々の思いを発信しています。アニメの研究による博士号取得は、しばらくお休み。

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グレーゾーン短歌:訪看が来ても負担は増してゆく……


訪看が来ても負担は増してゆく日々の介護は楽にならない

*それが例えば、ホームヘルパーとかであれば。私が普段行っている仕事を、代わりにやってもらえるのであれば。私の負担は減り、毎日の介護は楽になるだろう。
 だが、訪問看護は、そうではない。私が、今まで行えずにいたこと─身体的ケアやシャワー浴など─をやってもらえるというだけであって、私の負担は減らない。それどころか、訪問看護の受け入れやその場での手伝いのため、私の負担は、むしろ増えている。
 訪問看護を受けることで、母は、サッパリして気持ちよいかもしれないが。私は、日に日に消耗してゆくばかりである。

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テーマ : 親の老後と介護
ジャンル : 結婚・家庭生活

Tag : 介護 

C

omment


シャワー浴の記事でハナさんの現状をとは違うコメントをしてしまったので、実情が気になっておりました。
>私が、今まで行えずにいたこと─身体的ケアやシャワー浴など─をやってもらえるというだけであって、私の負担は減らない。
>訪問看護の受け入れやその場での手伝いのため、私の負担は、むしろ増えている。
そうだったのですね。
訪問看護なら家族への最近の状態の聞き取りなどもされますし、手伝いもありますよね。そのことに思い至らず、気楽なことを書いておりました。

在宅介護をしていた時、病院で診て貰えることを、有難いことだととか他人に言われるのが苦手でした。
その対応しているのは「自分の時間を削ってるんだ」って思っていたのです。
けど私も同じことを言ってしまいましたね。

私の偏見などが分かり、介護の見えにくい負担を示した記事として、旧ブログタイトルにあるように「叫び」が書かれていると思いました。
しかし、辛い状況が続いていることが伺えてハナさんの心身の体調が心配になりました。
何か出来ないものかと感じます。

八手3 URL | 2022/09/02 00:42 [ 編集 ]

Re: 八手3さん
「訪看の受け入れ」というのは、まず第一に、訪看さんが来る時間までに帰宅して家の鍵を開ける、ということです。

仕事を午前中で終えて(午後年休か介休を取って)、バスで帰宅するわけですが。日中(通勤時間帯以外)はバスの本数も少なく、時間ギリギリの帰宅となり、ゆっくりと昼食をとっている時間もありません。

バス停までは15分程度歩くので、真夏の酷暑の際─なるべく外出は避けるようにとお達しが出ている日─は、熱中症になるかと思いました。
この辺り、自家用車で移動している方々には、ちょっとわからない世界ですね。

開始当初は、いずれは母が自分で玄関の鍵を開けてくれるようになることを、期待していたのですが。それは無理のようです。
現在検討しているのは、玄関の鍵をどこか秘密の場所に置いておいて、それを訪看さんに使ってもらうことです。

ただやはり。私がいるといないとでは、訪看さんのできることに差が出る─私がサポートしないとシャワー浴までは難しい─ので。月に何回かは、訪看に合わせて帰宅しないわけにはゆかないでしょう。
自分はお金だけ出して、あとは全てを専門家にお任せして、ゆったり……というわけには、いかないものですね。


> シャワー浴の記事でハナさんの現状をとは違うコメントをしてしまって

別に、「私の現状と違う」わけではなかったのですよね。「とてつもなくズレた理解をなさっている」というのは、事実関係の認識についてです。
ああいう形のコメントだったので、引用の形をとって説明いたしませんでした。

> お母さまの信頼を得る為に看護師が7回目まで足浴やドライシャンプーなどを用いて信頼を得たことなど

問題は、ここの箇所でした。ここがズレまくっているので、その後の考察は全て、「いや、そうじゃなくて……」になりました。

別に、ゆくゆくはシャワー浴を実現させるための前段階として、母の信頼を得るために、足湯や清拭を続けたわけではありません。
そもそも、訪看にお願いしたのは、こうした身体的ケア(特に足湯)をしてもらうことでした。別に、シャワー浴を求めていたわけではないのです。
シャワー浴が実現したのは、その場の勢い、ですかね。背中をこすったら、垢がものすごく出て、「これは、シャワーで流さないと……」ということになりました。で、たまたま母の機嫌がよくて、浴室まで行ってくれたのです。
実際、その次の週は全て拒否、でしたから。

結果として、たまたまシャワー浴が実現したので、そこに焦点を当てた記事を書きました。
なので、「最初からシャワー浴をしてもらうために、訪看を依頼した」かのような印象を、読者に与えてしまったのだと反省しています。

信頼云々は、どうなのでしょうかね。一応、担当の訪看さんのことを、覚えはしたようですが。それも、かなり不安定ですね。1週間に1回だということも、理解していないようですし。
毎週何曜日の何時、ということを覚えてもらえないし、基本的に嫌がっているから、母に鍵を開けてもらうことは、絶望的なのです。

ハナさん* URL | 2022/09/04 13:37 [ 編集 ]


以前から某所で、この時間に家におられるのかな?と思うことがありました。

こうした事情だったのですね。

某所でも書いたのですが、ハナさんの仕事は専門業務ですから早退したとしても誰かが代わりをするというわけにはいかないのではないですか?

鍵の問題について、ちょっと検索したのですが、訪問看護(介護)と鍵のことって、問題になっているのを知りました。

鍵のこと一つとっても、見知らぬ人間を家に上げることは大変なのですね。

施設で働いていも、生身の人を相手にするからうまくいかないことがあるし、在宅だと、ちょっとした許可を得る場合でも、トラブル時の対処などでも家族が付き添っていないと難しい局面があるのかもと思いました、

そうしたことの積み重ねで、更に介護者が疲弊していくのですね。。

介護を扱ったフィクション作品では介護サービスを受けることは、家族の負担が軽減される描写になることが多いように感じておりますが、そんな単純ではないのですね。

そして、お母さまの介護抵抗と拒否続いているのですか。

母や祖母もそうした時がありましたが、少しは協力してほしいと苛立ちを覚えました。

だから、本当に大変な状況なのだと感じました。

何か良い方法があれば良いのですが。

八手3 URL | 2022/09/10 10:09 [ 編集 ]

Re: 八手3さん
再コメ、ありがとうございました。

> 早退したとしても誰かが代わりをするというわけにはいかないのではないですか?

それは当然、そうですよ。私しかできない仕事ですから。
納期に、割とゆとりのある仕事が多いので、なんとかやり繰りして間に合わせています。

> ちょっと検索………訪問看護(介護)と鍵のことって、問題になっているのを知りました。

私も、「あれ? こういう時は、訪看さんやヘルパーさんに鍵を預けるのが普通なのかな? 世の大勢としてはどうなのだろう?」と調べてみました。やっぱり最近は、うかうかとカギを預けるようなまねは、しない人が多いようですね。
私は感覚が古いのか、「信頼して鍵を預ければ……」とか、思ってしまいがちでしたが。それは、なんというか、昭和の古きよき時代の感覚ですかね。

玄関の鍵を電子錠に替えるとか、電子錠つきのキーボックスを設置するとか。出費を考えないなら、よい手もあるようですけど。

> フィクション作品では介護サービスを受けることは、家族の負担が軽減される描写になることが多いように感じておりますが、そんな単純ではない

介護に限らず。この世の中の現実の出来事は、単純ではなく、様々な要素がからまりあって、一筋縄ではいきません。
フィクション作品とかは、ある程度物事を単純化して、あくまでも一つの視点から個々のエピソードを描き出すことが、多いのだと思います。

現実問題として。介護サービスを受けることによって負担が軽減され、色々な意味で助かった人は、相当数いるはずですから。
介護サービスは、とても有益なものだから、ためらわずにどんどん利用しましょう……と勧めるのは、基本的に正しいあり方でしょう。

世の中には、それほど単純な状況ではない者も、一部には存在する。それだけの話です。
この辺の特殊性を、病病介護とか、グレーゾーン介護とか、おひとりさま介護とか、何らかの名前をつけることで。ある程度の普遍性を有したものとして、提示できればと思っていました。

ハナさん* URL | 2022/09/10 17:06 [ 編集 ]


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rackback

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プロフィール

ハナさん*

Author:ハナさん*
2019.5.26付けで、Yahoo!ブログから移行してきました。
上記日付より前の記事は、Yahoo!ブログで書かれたものです。

移行から2年経過したのを機に、ブログタイトルを変更いたしました。
あわせて、紹介文も更新。

*代用ゲストブックあり
「カテゴリ」からどうぞ

〔ブログ紹介文〕
誰もが、たやすく発信者となれるネット時代。

文章で社会改革ができると思い込んでいたのは、若さゆえの過ちにすぎない。
けれど。
それでもまだ私は、文章を公表することは、無意味ではないと信じたい。

私がここに記すのは、単なるつぶやきの類いではない。
社会に向かって訴えたいこと、公表する意味があると思えることのみだ。
若い頃のように気負い込んで、大声で叫ぶことはできないけれど。

病気ではなく、障害でもなくても。諸々と生きづらい、おひとりさま介護の日々においても、光を求めて!

〔自己紹介〕
高校1年で発症した神経症性障害(身体表現性障害[身体症状症]その他)を、40年近くかけて乗り越える。
校正者として、非正規雇用勤続30年。数年前から校閲の仕事も行う。

1990年代、森田療法の研究で学士号取得後、カール・ロジャーズの直弟子が講師であるカウンセラー養成講座で単位取得。
地元の民間心理相談機関でセラピストのインターンとなり、各種心理療法を学修するが、自分は援助職には向いていないことを痛感。

アニメーションの研究で修士号取得。
博士課程・単位取得満期退学。
現在、博士論文のテーマを再検討中。専門は、巨大ロボットものの予定。

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