05.21
グレーゾーン短歌:自らの心の変化いにしえの……
自らの心の変化いにしえの治療理論に沿えるものなり
義務でない「べし」ではなくてそうすれば気持ちがよいと動くだけなり
※4月中旬に、ふと思い立って玄関その他に花を飾って(https://flowerhill873.blog.fc2.com/blog-entry-547.html)以来、その時々に庭に咲いている花を、飾り続けてきた。
飾った花は、順に、ナノハナ・ヒメツルニチニチソウ・イモカタバミ、そして、今の時期に元家庭菜園に咲き乱れるマーガレット(https://flowerhill873.blog.fc2.com/blog-entry-392.html)である。
今までは、思い立って仏壇に花を飾っても、枯れたまま、何カ月も放置してしまうことが多かった。それが今年は、しおれてきたら次の花に替えるという形で、花を飾り続けることができている。
別に、そうしなければならないと、意識的に義務として行っているわけではないのだ。ただ単に、その方が気持ちがよいから。しおれたり、枯れた花をそのままにしておいたら、気持ちがよくないから。そうした自然な心の動きのまま、自然に行動できているのだ。
そういった、自分の心と行動の変化のあり方を、今も定期的に受けている、セラピーの場で話したら。
それは、「森田療法の入院治療(こちらが本来の形である)において、受療者の多くに見られる変化と同じものである」と、教えられた。
今現在の私は、特に森田療法を受けている、というわけではないのであるが。明らかに森田療法の適応である性格の私が、健康な心と行動を取り戻してゆくあり方は、やはり、森田理論に合致したものであるようだ。
健康でなくなってしまった心や行動が、回復してゆくあり方というのは、どのような療法に依るにせよ、かなりの普遍性を有しているものであると、再認識した。
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