40年近くかけて神経症性障害を乗り越えたものの、母親の介護で大変な日々の思いを発信しています。アニメの研究による博士号取得は、しばらくお休み。

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グレーゾーン短歌2首:生きづらさ我らのための言葉なり……


生きづらさ我らのための言葉なり病気ではなく障害でもなく

その言葉我らの手から盗られしか名前ありてもそれを使えり


*「生きづらさ」という言葉は、1990年代の末期から2000年代の始期にかけて、主としてアダルトチルドレンを表現する言葉として多用されたことにより、一般社会に普及したという印象がある。

 病気(精神疾患)とか障害というわけではない、そうした診断がつくほど重篤な状態ではないのだけれど、複雑かつ深い心理的な問題を抱えて、生活や人生において、様々な困難を生じている人々──かつて大流行したアダルトチルドレンに限らず、近頃の流行だと、HSP(繊細さん)とか愛着障害*とか──が抱える困難を指す言葉として使われるようになったのだと。
 こうした人々が抱える問題・困難は、単に「苦悩している」とか「悩み(問題)を抱えている」、「生活をしていくうえで困っている」「人生に困難を感じている」等々の言葉では表現しきれない。それでは、こぼれ落ちてしまうものが数多くあるのだ。

 そんな状態を端的に表してくれる、なかなかよい言葉が見つかったものだと、内心喜んでいたものである。

 そして、やがて自分も精神疾患を乗り越えたならば、「病気ではないが、生きづらさを抱えた者」という自己規定のもとで、生きてゆくことになるのだろうと。そう思っていた。

 だが。
 ふと気がつけば。
 生きづらさという言葉は、病気とか障害ではない人々、そこまではいかないが、でも困っている・苦しんでいる人々を、名づけによって掬い上げる、救いの言葉ではなくなっていた。

 「うつ病の人の生きづらさ」とか、「発達障害の人の生きづらさ」というように、既に病名や障害認定をもらっている人の困難を(も)指す言葉へと、変容してしまっていた。
 一個人が、「あれは、病名や障害名がつかない人のための言葉であったはずなのに……」と思っても、世の大勢は変わらない。

 結局のところ、私がなかなか「治った」と言えなかった、病気という言葉を手放せなかったのは、治った=病気でない、ならばイコール「健康で何の問題も抱えていない」「順風満帆で何の困難もない」生活・人生を過ごしていると、短絡されるのが嫌だったからなのだ。
 神経症は治ったとはいえ、神経症の病前性格である神経症性格の、性格的な偏りというか、いわゆる「性格的な問題に由来する数々の困難」といったものは残存している。
 また、身体の不調に関する「とらわれ」はなくなったにせよ、「身体の不調は全く存在しなくなった。身体はとても快調で、元気いっぱいです」というわけではない。

 「病気が治った」と言ってしまうと、現在の自分の困難を表現する言葉が存在しなくなる=自分の苦痛を他者に否定されてしまう。そう感じていたがゆえに、私は、病気という言葉にしがみついていたのだろう。



*注:愛着障害の「障害」は、ここで言っている障害とは異なる、単なる名称である。ここで言う障害とは、重度の精神疾患発達障害のように、そうであるがゆえに「精神障害者」として認めてもらえる・扱ってもらえる障害のことである。愛着障害は、疾患名としてすら、公式には認められていない俗称である。更年期障害の人を、障害者とは言わないのと同じである。


 そこで今回、あらためて「生きづらさ」という言葉の、世間での使用歴について調べてみた。とりあえず見つかった、以下の2つの研究により、私の個人的な記憶、主観的な印象は、ほぼ正しかったことが裏づけられた。
 
藤野友紀「「支援」研究のはじまりにあたって : 生きづらさと障害の起源」『子ども発達臨床研究』1、2007、pp.45-51
https://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/bitstream/2115/20558/1/FUJINO.pdf

藤川奈月「「生きづらさ」を論じる前に:「生きづらさ」という言葉の日常語的系譜」『北海道大学大学院教育学研究院紀要』138、2021、 pp.359-374
https://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/bitstream/2115/82164/3/21-1882-1669-138.pdf

 そして、一般向けコラムの以下の文章。これは、多種多様な、現在の「生きづらさ」について、とてもよくまとめてある。

しのぶかつのり「『生きづらさ』とはいったいなにか?」、ウェブサイト『Brain with Soul』
https://brain-soul.com/corner47/corner71/index.html

 この筆者が、「名前のない生きづらさ」とまとめた中に出てくる、「『グレーゾーン』の生きづらさ」と「『重複』している生きづらさ」の記述は、なかなか興味深かった。

***************

1.「グレーゾーン」の生きづらさ

〔略〕

たしかに苦しい、でも「病気」や「障がい」という基準には達していない。

〔略〕

そのため、グレーゾーンにいる人は支援も受けられず、それどころか甘えている、ワガママ、性格が悪いといった責め苦まで受けるはめになってしまいます。

さらに、「病気」や「障がい」ではないのだから当然休むことは許されず、「ふつうに生活すること」が求められます。

〔略〕

また、グレーゾーンの生きづらさは、必ずしも「この症状のグレーゾーンだ」とシンプルに割り切れるものばかりではありません。

〔略〕

2.「重複」している生きづらさ

〔略〕

たとえ「病気」や「障がい」の症状に当てはめようとしても、当てはまるものが多すぎるという状態です。

〔略〕

あらゆる苦しみが混在していて、今までの判断基準では名前をつけられない状態だと言えるでしょう。

〔略〕

つまり、あらゆる苦しみが重複しているなかでは、もはや「診断」という行為自体が意味をなさなくなってしまうということでしょう。

また、苦しみが重複するうえに、すべてがグレーゾーンという人もいます。


しのぶかつのり「『生きづらさ』とはいったいなにか?」、ウェブサイト『Brain with Soul』
https://brain-soul.com/corner47/corner71/index.html
より
***************

 病気ではなくなった。かといって障害でもない。でも、苦しい。なのに、そのことを認めてもらえない。
 とはいえ、アダルトチルドレンとか愛着障害とかHSPとか。はたまた、発達障害グレーゾーンとか。そういった流行りの(?)名前を自称するのも、やはり違う気がする。

 そのような状態にいる自分のような存在を、この文章は、掬い上げてくれていた。

 生きづらさという言葉は、もはや「名前のつかない」人のためだけのものでは、なくなってしまったけれど。それはもう、時代の趨勢として、仕方のないことだと受け入れることとしよう。

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テーマ : メンタルヘルス・心理学
ジャンル : 心と身体

Tag : 精神疾患  発達障害  支援  身体症状 

C

omment


「生きづらさ」という言葉、アダルトチルドレンを表現するときに多用された言葉だったんですね。
言葉が人口に膾炙した理由とかに興味があるので、知ることができて嬉しくなりました。
言葉の範囲が広がっていくことは、例えばアダルトチルドレンの傾向がある人に好感を持っていない人間から、「皆生きづらいのだから、甘えるな」的にも使われてしまうような気がします。
でも、当事者が「生きづらい」という言葉を使えるのであれば、私はいいことのようにも感じました。それだけ精神疾患に対して理解が深まった証拠のような気がします。

リンク先どれも面白かったです。
インターネット上はいろんな情報があふれているので、どれを読めば良いのか分からなくなりますが、知識のあるハナさんがまとめたから信用できるし有用な資料が揃っておりますね。
Brain with Soulの「『生きづらさ』とはいったいなにか?」が特に参考になりました。
いろんな状態における「生きづらさ」が紹介されていて、勉強になりますし、「好きなことを見つける」「逃げて良い」といった、フィクション作品や「悩みを抱えた人が増えてます」的なコラムであれば、解決策となるようなポジティブな言葉がそれだけでは解決できないことが示されており、ちょっと痛快でした。
「両極を包み込んで成熟させる」という解決法、カウンセラーから言われた、「失敗ばかりに注目するのではなく、良いことに注目すること」や、「交流できる人から焦らずコミュニケーションしていけば良い」とのアドバイスにも通じて、受けたセッションの裏付けを知れたように感じました。

八手3 URL | 2022/02/28 00:35 [ 編集 ]

Re: 八手3さん
コメント、ありがとうございました。
当ブログにコメントをいただける、ほとんど唯一の方になってしまったので、とても貴重な、有り難い存在だと感じています。
キチンと(深く)リコメしようとするあまり、いつも返信が遅れてしまい、申し訳ありません。
これに懲りずに、おつきあいくださいませ。

> 言葉の範囲が広がっていく

大抵の言葉は、普及するにつれてどんどん拡大解釈されるようになっていき、誤用されることも増えてきます。誤用の多くは、その言葉の持つイメージに由来するものですね。
「アダルトチルドレン」も、「いつまでも大人になれない、子どもっぽい大人」という誤った解釈が、まかり通っていますから。

「心身症」なども、本来の意味(れっきとした身体の病気なのだけれど、発生や経過に心理的な要素も介在している病)とは異なる理解(身体症状を[も]呈する精神疾患)の方が、普通になっているのかもしれません。
これに関しては、実態は精神科にすぎないのに、ソフトなイメージの心療内科を標榜する病医院も少なくないことが、一番の原因でしょうけど。

> インターネット上はいろんな情報があふれているので、どれを読めば良いのか分からなく

ネット検索で上位にあがってくる記事が、信頼できる・優れているというわけでは、ありませんからねぇ。1ページ目に出てくる記事でも、明白な誤りを書いているものも、多々あります。
筆者にコンタクトする術がある記事では、誤りを指摘して、対処を求めることもありますが。連絡先どころか、筆者名すら明記されていないものもあります。

基本的に、どこの誰が書いたのか、その人はどういう立場・職業・肩書きの人なのか……ということは、チェックした方がよいです。
まぁ、有名大学の教授だからといって、ただそれだけで、全てが信じられるわけではありませんが。

あと、以前お知らせした、引用とか参考文献の記載。そういったものが、どれだけちゃんとしているかということは、その記事の信頼度と、ある程度比例します。

ハナさん* URL | 2022/03/06 16:26 [ 編集 ]


T

rackback

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プロフィール

ハナさん*

Author:ハナさん*
2019.5.26付けで、Yahoo!ブログから移行してきました。
上記日付より前の記事は、Yahoo!ブログで書かれたものです。

移行から2年経過したのを機に、ブログタイトルを変更いたしました。
あわせて、紹介文も更新。

*代用ゲストブックあり
「カテゴリ」からどうぞ

〔ブログ紹介文〕
誰もが、たやすく発信者となれるネット時代。

文章で社会改革ができると思い込んでいたのは、若さゆえの過ちにすぎない。
けれど。
それでもまだ私は、文章を公表することは、無意味ではないと信じたい。

私がここに記すのは、単なるつぶやきの類いではない。
社会に向かって訴えたいこと、公表する意味があると思えることのみだ。
若い頃のように気負い込んで、大声で叫ぶことはできないけれど。

病気ではなく、障害でもなくても。諸々と生きづらい、おひとりさま介護の日々においても、光を求めて!

〔自己紹介〕
高校1年で発症した神経症性障害(身体表現性障害[身体症状症]その他)を、40年近くかけて乗り越える。
校正者として、非正規雇用勤続30年。数年前から校閲の仕事も行う。

1990年代、森田療法の研究で学士号取得後、カール・ロジャーズの直弟子が講師であるカウンセラー養成講座で単位取得。
地元の民間心理相談機関でセラピストのインターンとなり、各種心理療法を学修するが、自分は援助職には向いていないことを痛感。

アニメーションの研究で修士号取得。
博士課程・単位取得満期退学。
現在、博士論文のテーマを再検討中。専門は、巨大ロボットものの予定。

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