40年近くかけて神経症性障害を乗り越えたものの、母親の介護で大変な日々の思いを発信しています。アニメの研究による博士号取得は、しばらくお休み。

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電話恐怖症を越えて─「よくなるとは忘れることである」

問題提起をする記事ばかりを載せ続けるのも、芸がない気がする。たまには「よい見本」のような記事も、書いてみようかと思う。
そこで、例えばこんな「教科書通りに、恐怖症を克服しました」という話をしてみたい。

20代の頃から、社交不安症(障害)─かつては対人恐怖症という言い方をしていた─の一環として、電話恐怖症に苦しんできた。
電話に出られないし、かけられない。電話以外の連絡法がある所なら、その方法を使えばよいが、是非とも電話連絡をしなければならない所とは、コンタクトができなかった。
そのため、電話予約が必要な治療機関の予約もできず、必要な治療を受けるのが、数年遅れてしまったこともある。

あるセラピストの援助を受け、どうにか社会復帰を果たし、他者との交流にさほど不安を感じなくなってきてからも、この電話恐怖は、根強く残っていた。
勤務先で、近くの席の方々が休むため、一人で電話番をするハメになりそうな日には、私も休暇を取って、休んでしまったこともあった。

ネット社会になり、通信販売の注文や問い合わせなどの多くは、ネットやメールで済むようになった。
それでもやはり、緻密な問い合わせや予約は、まだまだ電話を使用しなければならない。
母の病気治療や介護が始まってからは、電話をかけねばならない機会が、激増した。

福祉センターやケアマネに連絡しなければ、介護サービスを受けられない。タクシーを呼ばなければ、母を病院に連れていけないし、帰ってこられない。
だから仕方なしに、どんなに不安恐怖が強く、身体まで苦しくなっても、とにかく電話をかけた。どんなにしどろもどろでも、言い間違えて恥ずかしくても、それはそのままにして、とにかく用件を伝えた。
森田療法の言葉である「恐怖突入」を、お題目のように、心の中で繰り返しながら。

そんなことを何回か繰り返していくうちに、さすがに慣れてきた。徐々に、不安恐怖や身体症状の出現が、少なくなってきたのだ。
そして、ふと気がつくと、必要なときには、ごく自然に電話をかけている私がいた。初めての相手に対しても、何のためらいもなく、電話をかけられているのである。

今となっては、「あれ?そういえば私って、電話恐怖症だったんだよなぁ。何で、こんなことがあんなに怖かったんだろう?」という感じである。
「よくなるとは忘れることである」という森田療法の考え方は、真実だと感じる。森田療法の治癒像としてしばしば語られる「根本的によくなったとも感じないが、とにかく、いつの間にか以前できなかったことが、自由にできているという自己の発見…」*というのは、その通りであると思う。
少なくとも電話恐怖症に関しては、森田療法の教科書通りの治り方をしたという感じである。

現在の私が抱えている問題は、森田療法の適用が難しいものである。それらを乗り越える道が見つからず、どうしたものかと悩んでいる。

とはいえ、電話恐怖を乗り越えられないままであったら、介護サービスを受けることも、母を病院へ連れてゆくこともできず、悲惨な結果を招いていただろう**。
そうならずに済んだというだけでも、森田療法の効能は大きかった。このことは、声を大にして言っておきたいと思う。



* 池田数好「森田神経質とその療法」『精神医学』1巻7号, 医学書院, 1959, p. 461
** 20代の頃、「自分が力になるから、何でも言ってくれ」を連呼する自称親友に、思い切って、治療機関への電話予約の代行を頼んだら、「どうして自分でしないのか(そんな下らないことはしてあげない)」と、拒否された。その人物は、私が自分で電話をかけられないから、仕方なく頼んでいるのだということを、わかろうともしなかった。
「所詮、他人とはそんなものなのだ」と学習してしまったので、それ以降、誰かに代行を頼むなどという選択肢は、消滅しているのだ。
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テーマ : 対人恐怖症・社会不安障害
ジャンル : 心と身体

Tag : 森田療法 

C

omment

No title
電話の着信音が鳴ると、
「あー、やだなー。なんだろー。」
怖い気持ちは、あります。出るには出ますが、
いきなり鳴る音に「出ろ」って、
言われてるみたいなビビリ感はありますね
ハナさんは、もっと辛かったんですね。

猫ノ毛まるけ URL | 2017/09/18 06:36 [ 編集 ]

No title
心も身体と同じで、傷つく事もあれば、病気になる事もあります。
ですがどちらにも同じく自然治癒力が備わっていて、ダメージを回復させていく事が出来ます。
そのダメージが、本当には本人を苦しめなくなっても、心には思い出として、身体には傷痕として残ります。
これから先ふと不安になった時、あぁこれはもう傷痕なんだと思ってみてください。
そして乗り越えた自分の強さを、大絶賛してあげてくださいネ!
ハナさん、頑張ったのね(⌒▽⌒)

イリューシン URL | 2017/09/18 07:46 [ 編集 ]

No title
> 猫ノ毛まるけさん
最近は、イエ電でも携帯でも、出る前にどこからの電話かわかる機能があるから、昔よりはマシになりましたよね(うちの電話には、その機能ついてないけど)。

森田療法が効く恐怖症は、「本来は誰にでもある不安恐怖」が、増幅されたものだということです。
雪だるま式にふくれあがってしまった不安恐怖を、元々の、誰にでもある雪玉程度のものに戻してやるのが、森田療法なのでしょう。

辛さをわかってもらえる(わかろうとしてもらえる) というのは、うれしいものです。
注**に記した、自称親友の反応には、ビックリでしたから。

ハナさん* URL | 2017/09/18 19:46 [ 編集 ]

No title
> イリューシンさん
森田療法というのは、人の心の自然治癒力や成長しようとする力・向上発展の欲求への信頼に基づいた治療法だと思います。

色々と行き詰まっているときには、できていないことばかりに目がゆきがちですが、こうやって、できたことに注目して、自分を肯定的に評価してやることも大切だな、と感じています。

ハナさん* URL | 2017/09/18 19:55 [ 編集 ]

No title
> min*_*lue*200さん
そうだったんですか…。
私は直接行って済ませられるなら、その方が楽…という。
不思議ですよね。理屈で考えれば、対面が一番ハードルが高いはずなのに。
だからこそ、あれこれ分析するよりも、行動で治すというアプローチが有効なわけで。

おっしゃる通り、ある意味、環境次第です。
環境が激変して、是が非でも〇〇しなければならない状況に追い込まれたら、〇〇恐怖症が治ってしまった、ということはあるようです。
ただ、そうやって何となく治ったのでは、元の木阿弥になる危険性(環境が元に戻ると再燃する)も…。
意識的な環境調整が必要なのでしょう。

ハナさん* URL | 2017/09/18 20:05 [ 編集 ]

No title
> min*_*lue*200さん

日本人は欧米人に比べて、対人恐怖気味な人の割合が多いそうです。
お国柄・国民性を考えれば、さもありなん、でしょう。

「症」がついて、治療が必要になるほどではなくても、こうした悩みを抱いている人は、かなりいるはずです。
そうした方々の多くは、悩み苦しみながらも、自力で、自分なりに克服しているのでしょう。

「苦しいままに行動させる」という、どこが治療法なのかわからない森田療法のやり方は、そうした病気未満の方のためにもなるものです。
この記事の価値も、そうしたところにあるはずです。
けれど、病気の克服法など健常者の参考にはならないと、切って捨てる方もいますからねぇ。

ハナさん* URL | 2017/09/19 12:21 [ 編集 ]

No title
初めまして。

ご来訪、ありがとうございます。
これからも、どうぞいらしてください。

私も時々訪ねさせていただきます。

お元気で。

星太(seita) URL | 2017/09/21 08:46 [ 編集 ]

No title
> おっとと!さん

ご来訪&書き込み、ありがとうございました。
これからも、よろしくお願いいたします。

ハナさん* URL | 2017/09/21 20:18 [ 編集 ]

No title
こんにちは!
お邪魔しました。
凄く為になる話だと思います。
自分は電話は大丈夫ですが、
家のドアをノックされるのが
異常に恐ろしいです
家には誰にも来てほしくない気持ちが凄くあります

ピエロ URL | 2017/09/22 14:04 [ 編集 ]

No title
> ピエロさん

ご来訪、ありがとうございます。
過去の記事にも、心の病気関係のものがあります。ご覧いただければ幸いです。

ドアをノックされるのが恐ろしい…来客恐怖ですか。
私も、今でもドアホンが鳴ると、ドキン!とします。平気ではないです。
それでも、どうにか応対はしています。

生活をしていく上では、どんなに怖くても、辛くても、やらないわけにはいかないこと。本当にたくさんありますよね。
とにかく「やることによって、できるようになっていく」しかないのでしょう。「できるようになってから、やる」のではなく。
とにかく行動して慣れていくうちに、「異常なまでに膨れあがってしまった恐怖」が、「程度の差こそあれ、誰にでもある緊張」ぐらいにまで、薄まってくるのだと思います。

もし、興味を感じられたのなら、一般向けの森田療法の本など、手に取ってみてください。

ハナさん* URL | 2017/09/22 21:10 [ 編集 ]

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| 2019/06/08 22:32 [ 編集 ]


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rackback

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プロフィール

ハナさん*

Author:ハナさん*
2019.5.26付けで、Yahoo!ブログから移行してきました。
上記日付より前の記事は、Yahoo!ブログで書かれたものです。

移行から2年経過したのを機に、ブログタイトルを変更いたしました。
あわせて、紹介文も更新。

*代用ゲストブックあり
「カテゴリ」からどうぞ

〔ブログ紹介文〕
誰もが、たやすく発信者となれるネット時代。

文章で社会改革ができると思い込んでいたのは、若さゆえの過ちにすぎない。
けれど。
それでもまだ私は、文章を公表することは、無意味ではないと信じたい。

私がここに記すのは、単なるつぶやきの類いではない。
社会に向かって訴えたいこと、公表する意味があると思えることのみだ。
若い頃のように気負い込んで、大声で叫ぶことはできないけれど。

病気ではなく、障害でもなくても。諸々と生きづらい、おひとりさま介護の日々においても、光を求めて!

〔自己紹介〕
高校1年で発症した神経症性障害(身体表現性障害[身体症状症]その他)を、40年近くかけて乗り越える。
校正者として、非正規雇用勤続30年。数年前から校閲の仕事も行う。

1990年代、森田療法の研究で学士号取得後、カール・ロジャーズの直弟子が講師であるカウンセラー養成講座で単位取得。
地元の民間心理相談機関でセラピストのインターンとなり、各種心理療法を学修するが、自分は援助職には向いていないことを痛感。

アニメーションの研究で修士号取得。
博士課程・単位取得満期退学。
現在、博士論文のテーマを再検討中。専門は、巨大ロボットものの予定。

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