40年近くかけて神経症性障害を乗り越えたものの、母親の介護で大変な日々の思いを発信しています。アニメの研究による博士号取得は、しばらくお休み。

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私って、性的少数者だったのか!

先日、校閲の仕事をしていて「LGBTQIA」について調べる必要が生じた。

そういえば少し前に、「性的少数者の呼称として、『LGBT』は、もう古い。今は、その後ろに「Q」とか「I」とか「A」とかをつけて呼ぶ時代なのだ」といった文章を見かけた記憶があった。ひと口に性的少数者と言っても、そこには様々なタイプがあるということだ。

「Q」は、クィア(Queer)またはクエスチョニング(Questioning)であり、「I」は、インターセックス(intersex)、「A」は、アセクシュアル(asexuality)のことである。
総称のあり方としては、「LGBTI」だったり、「LGBTQ」ないしは「LGBTQ+」であったり、「LGBTQIA+」だったりと、論者や団体によって一定していない。

だがとにかく、性的少数者としてはメジャーな「L」や「G」や「B」や「T」だけでなく、マイナーな「Q」や「I」や「A」なども包摂しようという意識が高まってきたのであろう。

その、「Q」や「I」や「A」に関する調査を進めていき、アセクシャルについての記述を読んだ時、こう思った。

「これって、私のことじゃない。

 そうかー。私って、性的少数者だったんだ」


アセクシャル(無性愛)は、Wikipediaの「無性愛」の項には、「他者に対する性的な惹かれ(sexual attraction; 性的魅力を感じること)の欠如、すなわち性的な行為への関心や欲求が少ないか、あるいは存在しないこと」と出ている。
いまだ、論者によって様々な見解の相違が存在するため、普遍的な定義はなされていないが、「性的な惹かれや性的関心の欠如」といった点については、それなりに見解の一致をみているようだ。

そう。私は、異性であろうと同性であろうと、とにかく他者というものに性的な惹かれを感じないし、性的な行為といったものには、全く興味がない。したいとは思わない。

そういったことを、むしろ汚らわしいものとして忌避するがゆえに、60歳近くになるまで性行為というものをしたことがない。そんなことをするくらいなら、死んだ方がマシだと思える。
→アラ還処女は、そんなにあり得ないものなのか?
https://flowerhill873.blog.fc2.com/blog-entry-516.html

さらに言えば私は、手を握るとかキスをするということ、異性との身体的接触も、したことはない(一応、デートのようなことは、一度だけしたことがある。さらに言えば、告白されて断ったことは、3回ある)。
そんな行為は、汚ならしいものとしか感じられないから、これっぽっちもしたくはない。まっぴら御免である。
世の中には、「抱かれたい俳優」とかいうランキングが存在するが、全く意味がわからない。

いわゆる恋愛というものは理解できるし、思春期の頃は、恋に恋したことはあるし、初恋もした。フィクションの中の恋愛のあり方を、素晴らしいと感じ、愛する者のために命をかけるといった生きざまに、憧れたりもした。
だが、それらはあくまでも、プラトニックラブ、精神的な愛の話であって、性的な愛のことではない。性的な魅力とか、愛する人と一つになりたいとか、あの人の子どもがほしいとか、そういった種類のことは、全く理解できない。

そういった自分のあり方が、変わっているということ、世の中の大多数の人々とは異なるということは、当然理解していた。
そして、自分がこのようであることは、何らかの心理的な不具合ゆえであるのかもしれないと、訝しく思うこともあった。

何らかのトラウマゆえに生じた病的な心理状態・異常であるのなら、そのトラウマを解消することによって、現在のその他の心理的な問題も解決されるのかもしれないと、考えることもあった。

自分がこのようであるということは、他者を愛せないということであり、それはつまり自我状態が未熟な証なのではないかという、懸念を抱いてしまうこともあった。

だが。
自分がこのようであるということは、ただ単にアセクシャルであるということ、自分は性的少数者であるということにすぎなかったのだ。
何らかの精神的・心理的な不具合の結果、あるいは心が不健康・不健全な証であるから、治すとか正すとか改善する必要がある……などと考える必要は、全くなかったのである。

かつてはLGBTも、精神の異常・病気と見なされていた。
だが現代においては、これらは人間の多様なあり方の一つとして、認められ、尊重されている。
少なくとも建前においては、世の中の認識は、そういう方向に進んでいる。まだまだ、世間の理解は得られず、バッシングも多いけれど。
私の「A」もまた、同様であるだろう。

そのことが判ったら、何だかとてもスッキリした。納得した。自分はこれでよかったのだと、かなり安心できた。

別に、普通(世の中の大多数)と違うのはいけないことであるとか、みんなと違う自分はおかしいとか、そういうことを考えていたわけではないのだが。
それでもやはり、「なにゆえ、自分はこのようであるのか?」という問いに対する明確な答えがない状態、自分のあり方を端的に表し、説明する言葉がない状態というのは、不安なものではあったのである。

アセクシャル、性的少数者といった言葉を得たことで、この件に関して「人と違う自分のあり方」というものが、自分のなかで、確かな居場所を得たように思う。
今まで、いまひとつ形が定まらず、モヤモヤとしていた自身の心理的特性が、アセクシャルという呼称を得ることで、ぴったりと収まるべきところに収まった感じがする。

自分が性的少数者だと判ったからといって、だからどうしたとか、どうする、ということはない。
カミングアウトすることによって、周囲に便宜を図ってもらうとか、そういったことは私には無縁である。
私はただ、これまでと同じように、己のあるがままに生きてゆくだけだ。

ただやはり、その状態を説明する言葉を得る・知る、名づけを得るということは、時に人の心を楽にする、救うものであるのかもしれない。
そんなことをあらためて思ったので、この顛末を記してみた次第である。


※注
アセクシャルのなかにも、「性的な惹かれ・欲求は感じないが、恋愛的には惹かれる・恋愛感情は理解できる」タイプと、「性的な惹かれ・欲求は感じないし、恋愛的にも惹かれない・恋愛感情も理解できない」タイプがあるなど、実際には様々なタイプがある。私のあり方が、アセクシャルの代表・典型ではない。

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C

omment


この記事、初めて読んだ時からコメントしたいと思っておりました。

ご自分のジェンダーアイデンティティを見つけられたのですね。

アセクシャル自体は、SNSで聞いたり、冊子のような電書を読んで少しだけ知っている程度ですが、なんとなく恋愛感情を感じないので、他のセクシャルと違って気づきにくいような気がしておりました。

記事からも悩まれたことが伝わってきますし、違和感を感じている宙ぶらりんな状態は辛いものなので、だからこそハナさんが気づかれたことが喜ばしいです。


本によると、性的欲求を強弱で表して、性的欲求の強さは人それぞれなので、他の方と比べて性的欲求が低い方であってもアセクシャルとして捉える考えかたもあるのですね。

役に立つから存在して良いと言っているようであんまり言ってはいけないようにも感じるのですが、その考えは、いろんな方の心の安定に役立つのではと感じます。

恋愛しなければ一人前ではないという価値観があり私もいろんな集まりに行くと、そのことを問いただされて困ります。だからアセクシャルの方について知ることは、恋愛のことや性的なことを望まない場で語られるのは良くないと一考されるきっかけになるかもと思いました。

八手3 URL | 2022/01/23 20:13 [ 編集 ]

Re: 八手3さん
とりあえず、別に私は、悩んではいなかったし、辛いとも感じていませんでしたよ。
この件に関しては、自分がいわゆる普通・世の中の大多数と違っていても、別にどうということもなく、昔からずっと肯定し続けていました。

元々、10代の頃から、「夢に生涯を捧げるための独身主義」を貫くつもりでいたわけですから。
ただ、なんかスッキリしない、モヤモヤしていたのが、説明する言葉を見つけたことで納得できた、というだけです。

> ご自分のジェンダーアイデンティティ……

日本語にしてしまうと、どちらも「性」になってしまってややこしいのですが。
私がマイノリティなのは、セクシャルの方です。

性自認に関しては、私は、あくまでも女性です。ジェンダーアイデンティティについては、昔から何の違和感も問題もありませんでした。
たとえ、趣味や興味の対象が、いわゆる男(の子)向けのものであったとしても。
私は子どもの頃から、自分がそのようであることを、女(の子)らしくないと咎められたことはありませんでした。ちょっと変わった女(の子)というだけで、済んでいましたから。

ジェンダーとセクシャリティの問題は、関連が深いけれども、別のことです。
LGBTとして、Tを、LGBとひとまとめにして扱ってしまうことには、色々と問題がありますね。

> 恋愛しなければ一人前ではないという価値観

それは、確かにありますね。あと、「身を固める」という語にあるように、結婚してはじめて一人前になる、というような考え方も。
その辺まぁ、いわゆる多様性が叫ばれるなかで、少しずつ、世の中の意識が変わっていけばよいのですが。

ハナさん* URL | 2022/01/24 00:39 [ 編集 ]


T

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ハナさん*

Author:ハナさん*
2019.5.26付けで、Yahoo!ブログから移行してきました。
上記日付より前の記事は、Yahoo!ブログで書かれたものです。

移行から2年経過したのを機に、ブログタイトルを変更いたしました。
あわせて、紹介文も更新。

*代用ゲストブックあり
「カテゴリ」からどうぞ

〔ブログ紹介文〕
誰もが、たやすく発信者となれるネット時代。

文章で社会改革ができると思い込んでいたのは、若さゆえの過ちにすぎない。
けれど。
それでもまだ私は、文章を公表することは、無意味ではないと信じたい。

私がここに記すのは、単なるつぶやきの類いではない。
社会に向かって訴えたいこと、公表する意味があると思えることのみだ。
若い頃のように気負い込んで、大声で叫ぶことはできないけれど。

病気ではなく、障害でもなくても。諸々と生きづらい、おひとりさま介護の日々においても、光を求めて!

〔自己紹介〕
高校1年で発症した神経症性障害(身体表現性障害[身体症状症]その他)を、40年近くかけて乗り越える。
校正者として、非正規雇用勤続30年。数年前から校閲の仕事も行う。

1990年代、森田療法の研究で学士号取得後、カール・ロジャーズの直弟子が講師であるカウンセラー養成講座で単位取得。
地元の民間心理相談機関でセラピストのインターンとなり、各種心理療法を学修するが、自分は援助職には向いていないことを痛感。

アニメーションの研究で修士号取得。
博士課程・単位取得満期退学。
現在、博士論文のテーマを再検討中。専門は、巨大ロボットものの予定。

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