11.15
アンダークラス短歌:自らの身体の不調いつまでも……
自らの身体の不調いつまでもとらわれる人見るは苦しき
*私自身は、
https://flowerhill873.blog.fc2.com/blog-entry-512.html
で詠ったように、身体症状へのとらわれを脱し、身体の不調を気にしないで、放っておくことができるようになった。
だが、ネット上で見かけるある方は、いつまで経っても(西洋身体医学では説明のつかない、自律神経系の機能障害に由来する)身体の不調に、とらわれ続けている。
口では、「受け入れるしかない」とか、「共存していくしかない」と言っているけれど。そうなれるような行動をしていないのだから、そうなれるはずがない。
来る日も来る日も、「身体のどこに、どんな症状が生じた」とか、「あの症状の経過はこれこれだ」とか、「こんな治療をしてみたら、どうしたこうした」………そんなことばかりを書き記している。
それではいつまで経っても、身体の不調と共存できるようにはならないであろうに。
ただ単に、身体症状が生じているというだけでなく、いわゆる予期不安が強かったり、症状へのとらわれが強く、精神交互作用も認められる。
そしてさらに、症状があったままでも、我慢して、前向きに生活しようとして、実際にそうできている。これはもう、森田療法の適応ど真ん中の状態である。
気にするまいとすればするほど、かえって気になってしまう。受け入れようとすればするほど……。開き直ろうとすればするほど……。
画一的なアドバイスに従い、○○になろうとすればするほど、逆になってしまい、どうしてもそうなれない。
そういう困った状況から脱するには、森田療法的なアプローチが最適なのだが。
たとえ一時はどれほど辛くても、森田の治療実践を続けることで、そうした自縄自縛から抜け出せるわけなのだが。
けれど。その方は、私ごときの助言など、聞く耳を持っていないようだった。
だから、「もう二度と、アドバイスめいたことは書き込みません」という記述を最後に、コメントすることは止めた。もう二度と、よけいなお節介はするまいと決めた。
ゆえに。たとえどれほど歯がゆく思っても。あれでは逆効果で、症状へのとらわれが強まるばかりだと思っても。私には何もできない。というか、言えない。
「こうすればいいのに」ということがわかっているのに、それを伝えられず、ただ見ているしかないのは、苦しくて仕方がないことだ。
この歌の最後、最初は「見るに耐えなし」にしようかと思った。次に、「見るは悲しき」か、とも思った。だが、むしろ「苦しい」のだと思い直し、この形に落ち着いた。
今はもう、その方のところに行くことも、ほとんどなくなってしまった。
何らかの縁で、その方が森田療法的なアプローチを知ることができるようにと、ただ祈るだけである。
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