11.23
「なぜ、そんな風に思い込んだ?」シリーズの再開に向けて
2016年の秋にYahoo!ブログを始めた際、
「なぜ、そんな風に思い込んだ?─序」
https://flowerhill873.blog.fc2.com/blog-entry-2.html
という記事を書き、「これまでの生活のなかで体験した、『精神疾患になじみがないという意味での、普通の人』の、『この病気及び患者に対する誤った思い込み』について、語」りたいと述べた。
だが、それから4年以上が経過した今でも、この「なぜ、そんな風に思い込んだ?」シリーズの記事を、1本も書けていない。
その理由は、上の記事のコメント欄で交わされたやり取りを読んでいただければ、繊細な方は推測できるかもしれない。その当時、ネット上で交流していた方との気持ちのすれ違いによって、出鼻を挫かれる形になってしまったのだ。
今となってはもう、その時の気持ちのすれ違いが、どのようなものであったのかは解説しない。
コメント欄に書き言葉として残されているもの、それが全てである。
ただ、本日あらためてそのやり取りを読み返してみると、私の方が、相手のコメントによけいな意味を付加して読んでしまっていたという部分が、多分にあると感じた。
その方は、私の記憶の中にあるようなことを、実際に言おうとしていたわけではないのだと。私が、「その方に言われた」と思っていたことは、私自身が勝手につくりあげたものでしか、なかったのかもしれないと。
4年以上の年月が経っているのだし、もはやその方との交流もない(先方が、多忙さゆえにネットゲームや付属のSNSをほとんどしておらず、ブログの閲覧等もしていないらしいため)のだから、もう、この件は終わりにしようと思った。
私の中で、未完了のまま、しこりになって残り続け、いつまでも引きずって、それゆえに行動が制限されてしまう(この場合は、記事が書けない)などという状況は、もう、いいと。
うまく気持ちを伝えられず、哀しい誤解をされてしまったという思いが、しこりとなって残ってしまっているもの。その傷ついたという思いや、悲しみや寂しさの塊は、もう解き放ってもよいのかもしれないと感じる。
未完了のものを、完了させて終わらせる。凝り固まって枷となってしまっているものを解きほぐし、空気中に放つことで、それから解放される。
しこりを解き放つことで、同時に自分も、それから解放される。
別に、あの精神療法とかこの療法の理論に基づいて考えたわけではなく。ただ何となく、心の流れのなかで、そんなことを思いはじめているのである。
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