04.05
身体の病気には休養が一番の薬だと、再認識した件
3月の三連休に、カゼ(?)をひいてしまったようだ
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が、よくなってきたし、新型コロナウイルス感染症ではなさそうなので、休み明けから出勤した
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ものの、なかなかスッキリと治らないので、結局、年休を取得して会社を休んだ
https://flowerhill873.blog.fc2.com/blog-entry-364.html
ということを、過去記事に書いた。
そうやって充分に休養をとって、静養第一の日々を過ごしたら、かなり頑固だったカゼ(?)は、ようやくスッキリと治ってくれた。
完全に治るまで、3週間近くかかったわけである。
色々と、充分な休養のとれない日々が続き、かなり疲れがたまっていたということが、今回のカゼ(?)の誘因だろう。
本当に身体が疲れているのか、単なる心気症的な疲労感にすぎないのか。あるいは、何らかの心因によって、身体的には何の異常も存在しないのに、異常に疲れやすいという現象が、身体に生じているのか。
その区別がつかないばかりに、時々、自分の身体の実状において、かなりの無理をしてしまうことになる。その結果、無理をしすぎて、身体の病気で死にかけたこともある。
例えば、発達障害という診断を受けられたならば、「身体の病気ではなくても、普通の人と違って、異常に疲れやすい」ということの説明がつく。理由はともかく、自分はそのようであるのだから、自分に可能な範囲内で活動していけばいい、そうしていくしかないと、あきらめもつく。
だが私は、幸か不幸か、そのような診断を受けられはしないだろう。せいぜいがボーダー、グレーゾーン止まりである。
きめ細かく、ミクロとマクロの視点からの注意が必要な校正・校閲の仕事を、ここまで高精度で行えている私が、ADHDのはずはない。
何をどこまでやったらよいのかに、具体的な基準はなく、曖昧きわまりない指示のもと、様々な状況を勘案し、筆者や編集者、本社の営業担当者や複数の上司の意図や思惑を推測し、忖度しまくらなくてはできない仕事を、うまくこなせている私が、ASDのわけがない。
言葉にとらわれてしまう反面、人の言葉の裏を読み、深読みをしすぎる私、他者の表情や場の空気にも敏感すぎる私、言外の意味や行間も、ちゃんと読めるどころか、変に読みすぎる私は、ASDとは似て非なるものだろう。
仕事で目にする、人文・社会・自然科学の最新の知見を、自分の専門外のことであっても、どれもとても興味深く読んでしまう私、他人の話を「自分には関係ない他人の話」として無視するのではなく、何らかの興味をもって聴けてしまう私が、ASDであるとは考えにくい。
障害という言い訳が存在しない以上、私は、「常識的に考えて、普通よりはるかに疲れやすい自分」というものと、どのように対していけばよいのか、もう少し、模索し続けなければならないだろう。
それでもとにかく。確かに無理がたたったらしく、本当の身体の病気になってしまった時は、休養を第一にしてよい。本当に体調が悪い時には、静養すべきである。
「身体の不調をそのままにして、なすべきことをなしてゆく」という治療実践をしているとはいえ、休むことこそが、今この時の「なすべきこと」である。休むことに、罪悪感を覚える必要はない。
そんな風に、思えるようになった。
この変化は、キチンとした専門家に相談でき、指導を受けられたゆえでもあるだろう。
そして、じっくりと休んだら、確かにカゼ(?)がキレイに治ったことから、身体の病気の一番の薬は、やはり休養なのだと再認識した。
(身体の病気だけでなく、精神疾患においてもそうである、という方もいるかもしれない。確かに、休養が必要な病態も少なくないであろうが。不必要な休養をさせたばかりに、治るどころか却って悪化させてしまっているケースも、決して少なくないことから、私はあえて「身体の病気」に限定するのである。)
身体の病気には、休養が一番の薬である。そんな当たり前のことも、身体症状を主訴とする精神疾患と長くつきあってきた者には、わからなくなってしまっていた。
その身体の不調は、言ってみれば気のせいなのだから、本当に身体に不調が生じているわけではないのだから、休養する必要はないどころか、休んではならない。身体が苦しくても、とにかく行動する以外に治る道はない。そんなことを、自分に言い聞かせ続けてきたから。
本当に身体に不調が生じている時も、苦しくてもがんばらなくてはと、思ってしまっていた。それとこれとは違うのだから、休んでもいいのだよと、誰にも保証してもらえず、許してもらえなかったから。
思い余って、その辺の精神科医に相談しても、私が何を尋ねようとしているのかすら、理解させることはできなかったから(森田療法の専門家でなければ、理解しろという方が無理な話ではあるのだから)。
ここに来てようやく、どれ程の費用がかかろうと構わないからと、森田療法の専門家に相談することができた。それゆえに、この、どん詰まりを突破できた。
そうした意味ではこれは、「……一大決心をして、新たな一歩を踏み出した件」
https://flowerhill873.blog.fc2.com/blog-entry-266.html
と、その続報
https://flowerhill873.blog.fc2.com/blog-entry-267.html
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の、確かな成果であるのだろう。
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