01.03
博士課程の同級生が、色々な意味で有名人になっていた件
何年か前から、ポイント稼ぎのために毎日、あるポイントサイトを経由して、ネットニュースを閲覧している。
そんななか、以下の記事で、何やら懐かしい名前を見かけた。
「三田村邦彦に『必殺』降板を翻意させた藤田まことさんの言葉」
https://news.infoseek.co.jp/article/postseven_1515661/
ここで名前があがっている、「映画史・時代劇研究家の春日太一氏」というのは、大学院の博士後期課程で同級生(指導教授が同じ)だった、あの彼のことだろう。
(本人のブログ等に写真が掲載されているのを見たら、確かに、あの彼であった。)
そういえば、修了後に1、2冊本を出したあたりまではチェックしていた。最初の本『時代劇は死なず! ─京都太秦の「職人」たち』(集英社新書、2008年)は、義理もあって、新刊を購入したのだった。
だがそれ以降は、私自身の生活の多忙さ・大変さに紛れて、いつの間にか、彼の動向を気にすることはなくなっていた。
在学中も、講義以外で話をすることは少なく──というか。そもそも私は、最低限の講義を受けるためだけに、会社を休んで、長野から東京の大学院まで通っていたので、講義外で学友と交流する暇はなかったのだ──修了・単位取得退学後に、個人的に連絡をとることもなかった。
アニメも「準専門」(在学当時の本人の弁)であるとはいえ、彼が専門とするのはあくまでも時代劇であり、研究する対象や分野が、私とは異なっていた。
さらに、彼の研究スタイルは、「撮影現場に密着して、時代劇の撮影スタッフに聞き取り取材を行い、その成果を一般向けの本にまとめる」という、記録的なものであるようだった。何というか、外向的で行動派、アウトドア派の研究である。
それに対し、私が目指す研究スタイルは、「文献や資料に当たって、調査・研究・考察を行い、その成果をアカデミックな論文にまとめる」という、分析的なものである。内向的で、理論派といえば聞こえはいいが、要は書斎派・インドア派の、行動が伴わない研究である。
そんな風に、目指す研究の方向性やスタイルが真逆だったせいもあり、もう10年以上、彼のことは忘れたも同然だったのである。
今回、久しぶりに名前を見たことから、近年の活動状況を軽く調べてみた。
すると、著書は単著・共著あわせて20冊を越え、『あかんやつら 東映京都撮影所血風録』(文藝春秋、2013年)で2014年に、第26回尾崎秀樹記念・大衆文学研究賞を受けていた。
有名雑誌での連載もしており、テレビやラジオへの出演、あるいはトークイベントの出演経験もあるという。
日本では数少ない、映画史・時代劇研究家(一部で言われているように「たった一人」なのかは措くとしても)を名乗るだけあって、マスメディアの世界では、引く手あまたという感じだ。本当に、精力的に活動されているんだなぁ、と思った。
と同時に、学術論文を執筆したというデータはない。博士論文を公刊したというデータも、見つけることはできなかった。あくまでも、アカデミックな世界ではなく、マスコミ寄りの世界で生きてゆくつもりなのだろう。
そうやってマスメディアでの露出度が高ければ、様々な批判や攻撃を受けてしまうのも、仕方のないことだ。
彼の名前でネット検索すれば、某巨大匿名掲示板の専用スレッドが、割と上位にヒットしてくる。
そうした場所で、名指して延々と、口さがないことを言われ続ける。よくも悪くも、有名人になったということだ。
それはそれで、大変だなぁと思う。私だったら、到底耐えられない。こんな弱小ブログへの、1つや2つのコメントですら、心が折れてしまうのだから。
そうした意味では、何があろうとコンスタントに執筆活動を続けてこられたというだけで、この上もなく、スゴイことであると思う。
在学当時から、特に、対抗意識を燃やすという感じではなかった。上述したように、研究対象・分野が異なったし、何より、研究スタイルが真逆であったから。
だから、今現在、両者の立っている場所が違いすぎるからといって、とりたてて思うところはない。
そもそも、彼はまがりなりにも博士論文を書き上げて博士後期課程を修了し、博士号を取得している。それだけでも、論文を書けぬままに単位取得退学となった私とは、明らかな懸隔がある。この違いは大きく、絶対的なものである。いわゆる「越えられない壁」という奴だ。
(実のところ、博士号などというものは、それを出した大学の格によって、大きな格差がある。この国の名を冠しながらも、いわゆる大学のランクとしては……である大学の博士号など、持っていても恥ずかしいだけ、という視点も存在するのは確かだが。)
この私は、とりあえず今は、病病介護の日々を乗り切るしかない。研究を進める上でも大きな妨げとなる精神疾患を、乗り越えることが先決である。少しでも早く、自分の研究を再開するための地固めを、コツコツと続けてゆくことしか、今の私にできることはない。
不思議なことに、焦りはあまりない。「あの人は、20冊も本を出しているのに、自分はゼロ……」といった思いもない。
一般向けの本を何十冊も書くより、アカデミックな研究書を数冊書く方が、私にとっては重要だからだ。一生のうちに、本当に満足できる研究成果をまとめた専門書を数冊上梓できれば、それで構わない(あえて、「価値がある」とは書かない。価値観のあり方は、人それぞれであるのだから)。
それでも何というか、よい刺激を受けたという感はある。勝手に同胞意識を持たれては、先方には迷惑かもしれないが、「同級生だった彼が、こんなにがんばっているのだから、私も自分なりにがんばろう……」と思えた。
立っている土俵が異なるので「負けないように、がんばろう……」とは、なり得ない。そもそも最初から、勝負にならないことは、わかり切っているのだから。
このように、昨秋ふと、修士課程の指導教授のことを思い出した
「修士課程の恩師は今でもお元気で、新作能を作っていた件」
https://flowerhill873.blog.fc2.com/blog-entry-268.html
のに続き、大学院時代のことを思い出したことが、良好なエネルギー補給となった。
他者と自分をひき比べて、劣等感や自己嫌悪に陥ってしまうのではなく、前向きな努力の栄養源にできた。そういう自分は、案外と頼もしいかもしれないと、そんな風にも感じているところだ。
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