02.19
命綱としての森田療法
そんななかでも、平日は、とにかく会社に出勤し、仕事をすることができているのは、森田療法の教えが、まがりなりにも、身についているからだと感じる。
朝、どんなに起きるのが辛くても、どれ程体調が悪くても、とにかく起き出して、出勤しさえすれば、あとは何とかなる。
たとえ心身のコンディションが悪くとも、仕事はどうにかこなせるだけでなく、残業すらもできてしまう。
そうやって、毎日の仕事をこなし、最低限の家事や介護もすることで、一週間を終える。
かつてはひどかった電話恐怖症(電話に出られない・かけられない)も、必要に迫られて「恐怖突入」を続けるうちに、いつの間にか、どこかにいってしまった。
そんな日々を続けることで、いわゆる「8050問題」になることなく、どうにか、最低限の生活を維持できている。
思えば、私がまがりなりにも社会復帰をして、働き続けてこられたのは、大学院を終えられたのは、森田のおかげである。
森田療法に出会わなければ、私の人生は、あそこで終わっていたかも…と思える時期がある。
ここ十年ほどは、心理療法全般と距離を置くようになり、森田のことも忘れかけていた。
だが、私がここまで、前向きに生きてこられたのには、やはり森田の恩恵が大きいのだと、再認識している。
これがもし、通常の助言によくあるような「苦しいなら、無理をしないで休む」ことを始めてしまったら…。
身体が苦しいからと、朝起きられず、会社にも行かれなくなり、ついには外出も不能になる。
引きこもり状態になると、精神面も悪化して、来客に応対することも、電話に出ることもできなくなり…ただ墜ちていくだけ。
そうなってしまう可能性は、決して少なくはない。
そうなってしまったら、今の状況では、母娘ともども、命の危険すらある。
介護が必要な母親を放置して、餓(低栄養)死させた姉妹のニュースは、決して他人事ではない。
私の病態は、100%森田療法の適応ではないと思われる。だが、それでもとりあえず、現在の生活を維持する命綱としては、有効だと感じている。
滑り落ちていく氷壁に、森田療法という剣を打ち込むことで、落下を止める。その剣にすがりつくことで、何とか踏みとどまる。
現在の私は、そのようなイメージのなかで、どうにか、生きている。
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テーマ :
病気と付き合いながらの生活
ジャンル :
心と身体
Tag : 森田療法