11.17
私の飛蚊症はやはり、治療のしようがないものだった
先日、「『校正者は目が命』なんだけど……」の記事
https://flowerhill873.blog.fc2.com/blog-entry-272.html
で、突然、左目に飛蚊症の症状が生じたことを記した。
飛蚊症は、生理的なものであることも多いが、網膜裂孔や網膜剥離などの、失明につながる怖い病気から生じることもある。だから念のため、眼科で診てもらった。
(アニメファンとしては、網膜剥離といえば、『キャプテン翼』に出てくるロベルト本郷の選手生命を奪った、怖い病気というイメージがあるわけだ。)
眼科で検査した結果、目に大きな病気は生じていなかった。飛蚊症の症状は、加齢等に由来する、生理的なものだろうということだった。
「大きな病気は……」という言い方であるのは、小さな病変は存在するからである。数年前から、左目に黄斑変性や脈絡膜萎縮が認められ、要経過観察となっているのである。
黄斑変性や脈絡膜萎縮も、進行して重篤化すれば、やはり、失明に至ることもあるという。今回、大きな病気ではないかと心配したのも、元から要注意だった、左目の方に生じた不調だったからだ。
私の飛蚊症は、とりあえず、大きな病気によるものではなかった。けれど、加齢等によって生じた生理的なものであるならば、現段階では、治療法は存在しないという。
生理的な飛蚊症だけでなく、黄斑変性や脈絡膜萎縮についても、iPS細胞などの研究成果によって再生医療が進歩しない限り、治療の術はないという。
黄斑変性と脈絡膜萎縮の進行によって、将来的には─大まかな予想では、あと20年ほどで─矯正視力が、1.0に達しなくなると宣告された。
失明ではなく、矯正視力が1.0を切るというのであれば、それほど恐れる必要はない。
それでも、「目を酷使しないように気をつければ、その時の到来を遅らせることができるのか」と問うたら、「そういったことは関係しない」と即答された。
ならばこれからも、今まで通りに、仕事に趣味に研究にと、目を酷使する毎日を続けてもよいわけだ。
飛蚊症に関しては、症状を出なくしたり、軽減する方法は存在せず、ただ、気にしないようにするしかないという。
ならば、強迫観念や不定愁訴などの「気になって困るけれど、なくなるという意味では治らないもの」が、気にならなくなる治療法である、森田療法を応用すればよい。
実際、飛蚊症の症状が出てから2週間あまり、症状に森田療法的な対し方をすることができている。そのおかげで、視界を常時、虫のようなものが飛び回っている状態でも、校正・校閲の仕事に支障を来してはいない。
飛蚊症の症状と、これからずっとつきあってゆかなければならないというのは、煩わしいことは確かだ。
けれど、「煩わしいけれども、なくすことはできないから、うまくつきあってゆくしかない症状」ならば、精神疾患において、もう既に数多く抱えている。何十年もかけて、精神疾患とのつきあい方を学んでくるうちに、症状があったままでも、特に問題なく暮らせるようになってきている。
今さら、煩わしい症状が、一つくらい増えたところで、どうということもない。その症状が、心因性のものであるか否かは、関係ない。
今まで同様、これからも、様々な症状を感じながらでも、ただひたすらに、生涯の夢に向かって突き進む毎日を、続けてゆけばよいのだ。
「これがあるから、……ができない」などということは、実際はないのであるから。
- 関連記事
-
- 母に関してずっと気にかかっていた問題が、解消された! (2020/02/02)
- 一大決心による新たな試みが、先方都合で中断してしまった件 (2020/01/14)
- そうか、健康食品も「食品」だったんだ…… (2020/01/03)
- 病病介護俳句:初春に湯浴みを…… (2020/01/03)
- 病病介護俳句:大晦日ゴミを…… (2019/12/31)
- 私の飛蚊症はやはり、治療のしようがないものだった (2019/11/17)
- 今後は「病病介護川柳」を、「病病介護俳句(無季)」と称します (2019/11/11)
- 「一大決心による新たな道」の、初回が終了したのだが…… (2019/11/04)
- 「校正者は目が命」なんだけど…… (2019/11/02)
- 新・病病介護短歌:久々にマトモな夕餉とりし時……… (2019/10/27)
- 新・病病介護短歌:ギリギリの最後の砦崩れゆく…… (2019/10/26)
テーマ :
病気と付き合いながらの生活
ジャンル :
心と身体