11.04
「一大決心による新たな道」の、初回が終了したのだが……
10月14日付けの記事
「この連休に一大決心をして、新たな一歩を踏み出した件」
https://flowerhill873.blog.fc2.com/blog-entry-266.html
及びその続報
https://flowerhill873.blog.fc2.com/blog-entry-267.html
に記した、「一大決心によって始めたこと」の初回が終了した。
1回や2回でどうにかなるものではないと、わかりきっていた──明確な成果があらわれて来るのは、おそらく5回・10回と回を重ねてから。早くても何カ月か経ってからだと思われる──から、効果については記さない。
だが、初回の感触は、かなりよかった。今後の見通しは、現段階ではそれほど暗くはない。
何といっても、長い長い遍歴の果てに、幾つかの幸福なめぐりあわせが重なって、ようやく見つけ出した、「この人ならば大丈夫。賭けてみる価値は、あるかもしれない」と思えた相手との、共同作業であるのだから。
それでもまだ、これが具体的に何であるのかということを、記すことはできない。「結構なお金と時間を費やしたけれど、結局、たいした成果は得られなかった」という結果になってしまう可能性も、なくはないからだ。
具体的に記してしまって、「結局ソレは、何の役にも立たなかった」ということになってしまったら、読者の方が、「何だ。〇〇って、結局、何の役にも立たない(ことが多い)のか。効果はないのか」と思ってしまいかねない。ソレに対する読者のイメージが、悪化してしまうかもしれない。
そんな事態は、避けたいのである。
ソレは、一般論としては、その目的を果たすために、極めて有効な手段である。
だが、その成功率は、決して高いとは言えない。けれど、その成功率の低さ(あるいは不安定さ)は、ソレ自体のよし悪しに由来するものではない。
例えば、頭痛がする時に胃薬を飲んでも、効きはしない。だがそれは、効かない胃薬がダメなのではなく、適切な薬を選択しなかったことが、いけなかったのである。
あるいは、とても有効だが難易度の高い外科手術があったとする。その場合、その手術が成功するか否かは、執刀医の技術・能力にかかってくる。それ自体は、どんなに「よい」方法であっても、行う者の技能が低ければ、よい結果は得られない。
はたまた、とても有能で個性的な教師がいたとする。その人物に教われば大抵の生徒は、大幅に成長する。
だが、教育や指導というものが、人と人との関わりにおいてなされる以上、相性の問題ということが、確かに存在する。いい先生であるのは確かなのだが、どうにも相性が悪くて、マトモな指導にならないなどという事態も、時には発生する。
そしてソレは、この相性というものに、大きく左右されてしまう種類のものなのである。
たとえ、最適ではない方法を選択してしまったとしても、相性がよければ、うまくいくことも皆無ではない。たとえ、行う人の能力が高くなくても、相性がよければ、うまくいくことは少なくない。
能力が高くても相性は最悪な相手が行うよりは、能力は低くても相性のよい相手が行った方が、よい結果が得られる。
そんな、ある意味、非常に不安定なものなのである。
いつどこで、誰が誰に対して、どんな風に行っても、ほぼ同程度の成果が得られる、というようなものではない。
うまくいく時は、本当にうまくいく。だからこそ、どれだけの費用と時間がかかっても、行う価値があるし、行うことを勧めることができる。
だがやはり、うまくいかない時には、悲しいほどに効果がない。むしろ、逆効果になってしまうことも、少なくない。
それは、何度も繰り返すように、ソレ自体が駄目であるとか、無益なものだということを示しているわけではないのだが。
「うまくいかなかった。役に立たなかった」という結果のみを見た、普通の人が、「ソレって、実際は役に立たないんだ。やってみる価値はないものだったんだね」と思ってしまう危険性が、確実に存在する。
そのような事態が生じてしまうことを恐れるがゆえに、ある程度の成果が出るまでは、ソレが何であるのかを、伏せておきたいのである。
(ここまで書いてしまえば、予想のつく方はいるかもしれないが。読者の方々の心は、私には推測できない。)
私が、そのイメージの低下を心配してしまうほどに、ソレは、毀誉褒貶の激しいものである。
とはいえ、とりあえず現代社会においては、その需要は高い。なので、2回目を行うのは、10日後と決まった。
本当は、最低でも1週間に1回は行うことが望ましく、それ以上間隔があくと、効果が落ちてしまうという話もあるのだが。こればかりは、仕方がない。
私自身は、病病介護における、どうしようもない現状──再発ないし悪化した精神疾患を抱えながらの母親の介護に、非常な困難を感じ、家のゴミ屋敷化が加速してゆくこと──を打破するための最後の手段として、ソレを選択した。だから、たとえ結果がどうであろうと、後悔はしない。
それでも、よい結果が出てくれれば、それに越したことはないと思う。ある程度は、私自身のがんばり次第で、どうにかなる部分もあるのだから(成果の出方は、上に記したように、相手の能力や相性次第のところもある。だがやはり、当人の取り組み方次第、というところも大きいのである。当人がいい加減にやっていては、どれほど能力のある人が行っても、うまくいくはずはない)。
人事を尽くして何とやら、というところであろうか。
- 関連記事
-
- そうか、健康食品も「食品」だったんだ…… (2020/01/03)
- 病病介護俳句:初春に湯浴みを…… (2020/01/03)
- 病病介護俳句:大晦日ゴミを…… (2019/12/31)
- 私の飛蚊症はやはり、治療のしようがないものだった (2019/11/17)
- 今後は「病病介護川柳」を、「病病介護俳句(無季)」と称します (2019/11/11)
- 「一大決心による新たな道」の、初回が終了したのだが…… (2019/11/04)
- 「校正者は目が命」なんだけど…… (2019/11/02)
- 新・病病介護短歌:久々にマトモな夕餉とりし時……… (2019/10/27)
- 新・病病介護短歌:ギリギリの最後の砦崩れゆく…… (2019/10/26)
- この連休に一大決心をして、新たな一歩を踏み出した件 (2019/10/14)
- 私には、この先どれ程の時間があるのだろうか…… (2019/09/23)