40年近くかけて神経症性障害を乗り越えたものの、母親の介護で大変な日々の思いを発信しています。アニメの研究による博士号取得は、しばらくお休み。

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「富野監督と同じキャンパスで学ぶことができた」という思い出話

あまりにも大変な日々が続いているので、気分を変えるため、楽しい思い出話をしようと思う。

会社の同僚などに話しても、それのどこが感動的なことなのか、いまいち伝わらない感がある。だが、本ブログの読者の中には、そのことをわかってくださる方がいると思うからだ。

2004年の4月。私は、N大大学院の芸術学研究科・博士後期課程の社会人入試に合格して、芸術学部と共用の江古田キャンパスに、週2回ずつ、高速バスや新幹線を利用して通い始めた。

そのキャンパスは、ちょうど2004年から、キャンパス整備事業による建て替え工事が始まっていた。とはいえ、その年はまだ、古い校舎がそのまま残っていた。講義等も、主に旧校舎が使用されていたのである。

その古い校舎を見回したり、講義を受けるために映画学科の校舎に立ち入ったりする度に、心の中でしみじみと、こうつぶやいたものだ。

「ここが、富野さんの学んだ大学なんだなぁ……」
「このキャンパスで、富野さんは、青春時代を過ごしたんだ……」
「この校舎で、富野さんは、映画について学んだんだ……」

「富野さん」とは、「ガンダム」シリーズなどの原作者・監督として知られる、富野由悠季のこと。1980年代に青年期を過ごしたアニメファンは、富野監督に限らず、アニメに関わる方々のことを、親しみと尊敬を込めて、「さん」付けで呼んでいた。アニメ雑誌等でも、そのような表記が少なくなかった。
敬称に職名や「氏」ではなく、「さん」を使用してしまうのは、その名残である。

そしてさらに、こんなことも考えた。

「このキャンパスに、塩沢さんも、何年かは通ったんだ(中退しちゃったけど)」
「で、キャンパス内に、何かキレイな人がいるなぁ、と思っていたら、その人は藩さんだったっていうんだよなぁ……」

「塩沢さん」というのは、声優の故・塩沢兼人。同じく「藩さん」というのは、声優の藩恵子である。心の中の声が、さん付けである理由は、上と同じである。当時は、塩沢兼人が事故で急死(2000年)してから、それ程年月が経っていなかったため、余計にしみじみとしてしまったのである。
ゆえに、特に用もないのに、演劇学科の校舎に赴いて、こんな感慨に浸っていたのだ。

そして、わざわざ演劇学科の校舎に赴いた際には、こんなことも考えた。

「長浜さんは、ここで演劇を学んだんだ。その頃は、自分がアニメの演出をすることになるなんて、思ってもいなかったかもしれないな……」

「長浜さん」というのは、アニメ監督の長浜忠夫のこと。アニメファンの間においては、いわゆる「ロマンロボ三部作」の監督として知られるが、世間一般に知られている作品としては『巨人の星』が挙げられるだろう。瞳の中に炎が燃える、あのオーバーな演出は、この監督のなせる業である。
博士論文のテーマとして、日本の巨大ロボットアニメを、予定している私にとっては、富野氏と並んで、特別の意味を持っている監督なのである。

N大芸術学部出身の有名人は、それこそ枚挙に暇がない。だが私にとってこの学部は、何よりもまず、この方々が学んだところなのである。

富野さんと塩沢さんと長浜さんが学んだのと同じキャンパスで、私も、学ぶことができる。学部や修士課程は違う学部・研究科になってしまったが、博士課程になって、ようやく、ここにたどり着くことができた。それも、古い校舎が取り壊されてしまう直前の、今、この時に。
これは、私にとって、非常に感慨深いことであったのである。

元々私は、高校1年の時に発症した精神疾患を治すことができていたら、大学は、ここに通うはずだった。他の、いわゆるいい大学を受けるつもりなど、毛頭なかった。生涯の夢を果たすための進学先は、ここしかないと思っていたのだ。

だが、適切な治療(精神療法)を受けることができず、治せる目処がたたなかったために、通常の(通学制の)大学への進学を断念し、学部は、N大通信制の文理学部哲学科を選択することになってしまった。

1993年には、N大大学院の芸術学研究科(修士課程)に映像芸術専攻が開設され、1995年には博士後期課程(芸術専攻)が増設された。だがそこを受けようにも、社会人入試は博士後期課程でしか行われていなかった(通常入試の突破は、いったん社会人になってしまった者にとっては、かなり困難である)。
さらに、修士課程(=博士前期課程)は履修すべき科目数が多すぎて、たとえ合格できたとしても、働きながら長野から東京まで通学することなど、とうてい不可だった。
芸術学部に進学することができなかった以上、今から江古田キャンパスに通えるようになることなど、もはや不可なのだと思われた。

だが、大学院設置基準の改正により、通信制大学院の開設が認められたため、1999年に、幾つかの通信制大学院(修士課程)が誕生した。そのうちの1つ、N大大学院総合社会情報研究科・文化情報専攻には、N大芸術学部映画学科の教授が担当する映像関係の科目があった。
そしてさらに、他の記事で紹介したシェイクスピアを専門とする教授
https://flowerhill873.blog.fc2.com/blog-entry-268.html
が、日本製アニメーションの文化的背景を、などの伝統文化との関連から考察しようとする研究を、修士論文のテーマとして認めてくれた。

さらに好都合なことに、通信制大学院には社会人入試制度があり、語学の試験が免除されたため、長らくアカデミックな世界から離れてしまっていた私でも、少し受験勉強をすれば、合格できそうだった。

そういった幾つもの幸運が重なって、私はN大の通信制大学院に社会人入学し、日本のアニメに関する研究で、修士号を取得することができた。
博士後期課程の受験資格を、手に入れることができたのである。

そしてついに私は、社会人入試を経て、N大大学院芸術学研究科の博士後期課程の学生となった。やっとのことで、江古田キャンパスにたどり着くことができたのである。

たとえ、己の本来の道から外れてしまったと思っても、その道を見失うことなく、あきらめずに求め続けていれば、そこに至る道は開かれる。どんなに回り道をすることになってしまったとしても、最終的には、本来の道に戻ってくることはできるのだ。
つまりこれは、そういう話であったのかもしれない。

(これで、めでたく博士号を取得して、大学に就職し、アニメの研究者になれていれば、もっとキレイにまとまるのだが。人生は、そこまで甘いものではないということだ。)

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テーマ : 教育
ジャンル : 学校・教育

Tag : アニメ  巨大ロボット  精神疾患  精神療法   

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omment

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| 2019/10/30 20:24 [ 編集 ]

Re: 10/30非公開コメントさん
色々と大変な青年期を過ごされたということを、漠然とはお聞きしていましたが、具体的に記していただき、ありがとうございました。

私自身も、高校時代とかは、大変でした。
記事中でも少し書いていますが、家庭の事情で有効な治療が受けられなかった──より正確には、母を父から守るために、親元にいるうちは、精神療法を受けないことを選ばざるを得なかった=高校時代は病気を治せ(さ)ず、青春時代を棒に振るという選択をせざるを得なかった──ので。

唯一の有効な治療を受けない=病気を治さないことを選択する=青春時代をほとんど寝たきりで終わるという、絶望的な状況の中、生涯の夢・未来への希望にすがることで、何とか生き延びていたのです。
「あそこに行きさえすれば、たどり着きさえすれば、何とかなる」と。

中学の後輩さん。結構な有名人がいるのですね。
高校ならば、私の母校は一応、県で一、二を争う進学校 ということになっているので、著名人は少なくないです。芸能人はいないですけど。もっぱら文化人系ですね。

ハナさん* URL | 2019/10/31 20:11 [ 編集 ]


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Author:ハナさん*
2019.5.26付けで、Yahoo!ブログから移行してきました。
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あわせて、紹介文も更新。

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〔ブログ紹介文〕
誰もが、たやすく発信者となれるネット時代。

文章で社会改革ができると思い込んでいたのは、若さゆえの過ちにすぎない。
けれど。
それでもまだ私は、文章を公表することは、無意味ではないと信じたい。

私がここに記すのは、単なるつぶやきの類いではない。
社会に向かって訴えたいこと、公表する意味があると思えることのみだ。
若い頃のように気負い込んで、大声で叫ぶことはできないけれど。

病気ではなく、障害でもなくても。諸々と生きづらい、おひとりさま介護の日々においても、光を求めて!

〔自己紹介〕
高校1年で発症した神経症性障害(身体表現性障害[身体症状症]その他)を、40年近くかけて乗り越える。
校正者として、非正規雇用勤続30年。数年前から校閲の仕事も行う。

1990年代、森田療法の研究で学士号取得後、カール・ロジャーズの直弟子が講師であるカウンセラー養成講座で単位取得。
地元の民間心理相談機関でセラピストのインターンとなり、各種心理療法を学修するが、自分は援助職には向いていないことを痛感。

アニメーションの研究で修士号取得。
博士課程・単位取得満期退学。
現在、博士論文のテーマを再検討中。専門は、巨大ロボットものの予定。

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