身体症状症を乗り越えきれぬ身で、母親の介護をする日々の思いを発信しています。アニメの研究による博士号取得は、しばらくお休み。

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随時追記ごとに更新「……一大決心をして、新たな一歩を踏み出した件」の続報

2019/10/20 23:19:19 初掲載
(記事管理上の都合で、今後は、追記を記入するごとに、日付を更新することとする。)

先日、「この連休に一大決心をして、新たな一歩を踏み出した件」
https://flowerhill873.blog.fc2.com/blog-entry-266.html
という記事を書いて、新たな道を踏み出したと語った。

その後の経過については、上掲記事のコメント欄で、リコメの形で報告している。だが、読者の方にわかりやすいように、あらためて記しておこうと思う。

新たな一歩となる行動の、申し込みをしたのは10月14日である。だが、それを実際に行うことができるのは、直近でも、11月に入ってからと決まった。それまでは、色々と準備はするものの、具体的な動きはないわけだ。

それにしても。本来ならば30年ほど前、20代のうちに行えれば望ましかったことを、なぜ、今になるまでできなかったのかと、驚き呆れる。
似たもので代用して済ませるのではなく、なぜ最初から、素直にそれを行わなかったのかと。
50代も半ばになって、本当にもうどうしようもなくなるまで、何ゆえに、この道を選ばなかったのかと。

とはいえ。自分としては、その答えははっきりとわかっている。あの時やあの時には、やはりどうしても、そうできない理由、それを選び難い理由があったのだと。
だから、たとえ自分に甘いと言われてしまおうと、自分のその時々の選択を責めること、否定することはできない。

私はいつでも、己が置かれた状況において、熟考の末に、今の自分に可能な、最善の道を選択してきたという自負がある。
だから、たとえ結果としては失敗だった、今にして思えば誤った選択だったと思えるようなことであっても、不思議なほど、後悔はない。全ては、自分が主体的に選択してきた結果であるのだから、それをこの身で引き受けることには、何の躊躇もないのだ。

ところで、私がその道を選べなかった最大の理由は、やはり金銭的な問題である。
大学院の博士課程であれば、己の生涯の夢を果たすためには是非とも必要だと思われたから、高額な学費を払い、勤務を休み、高い交通費と時間ををかけてまで通学した。そうまでするだけの価値があると判断したから、その道を選んだわけだ。

それに対しこの道は、今の今になるまで、それだけのお金と時間と労力をかけてまで、行う価値があるとは思えなかった。非正規雇用で薄給の自分にとっては、かなりの負担である費用を払っても、それに見合うだけの成果が得られるとは思えなかった。だから、この道を選ぶには至らなかったのだ。

それが今回、病病介護が行き詰まって、もうどうしようもなくなった今、様々な状況がうまく作用して、高い交通費と、遠方まで通う時間をかけずとも、それを行える道を見出すことができた。
そうしたうまい流れを捉え、この機を逃してはならぬと、思い切ってそのチャンスを掴み取った。そういうことである。

その後の経過を、とりあえずここに追記。
成果が出てきたら、記事にする。
それまでは、ここに記録のみ。

11/2(土)初回
15:00~16:00

11/12(火)2回目
19:00~20:00

11/23(土・祝)3回目
17:00~18:00

12/3(火)4回目
19:00~20:00

なかなか、1週間ごとの予約は取れない。
それだけ混み合っている=需要があるということだろう。

12/10(火)5回目
19:00~20:10

何とか、1週間ごとの予約が取れた。
あらためて考えてみると、1回分の費用は、私の1日分の稼ぎに等しいのだ。結構な出費である。

ある事情で、10分延びてしまった。延長は、10分ごとにプラス1500円。
元々の料金からすると、適正な時間割だ。
ドライではあるが、れっきとした時間割りの契約であるのだから、むしろ、その方が望ましい。
ダラダラと延びてもナアナアで済ませる方が、好ましくない。

これは、おままごとではない。決められた枠の中での、真剣勝負なのだから。

12/17(火)6回目
19:00~20:00

毎週、この時間に行うのが習慣になってきたようだ。成果は、どうなのだろう……?

12/24(火)7回目
19:00~20:00

今年は、これで終了。
さすがに大晦日はやっていないから。

次回は、間が2週間もあいてしまうと効果が落ちるので、約10日後に入れてもらった。

〔12/31 16:00追記〕
*一応、こちらにも書いておく。
年末に、可燃ゴミの袋を5個、資源物(廃プラスチック)の袋を1個、集積所に持っていくことができたのは、これの成果があがってきたからなのかもしれない。
詳細は、
https://flowerhill873.blog.fc2.com/blog-entry-320.html
を参照のこと。

1/4(土)8回目
17:00~18:00

※(よい意味での)泣き初め。
 というか。近年は、癒しのために泣くことも、ほとんどなくなってしまっていた。

1/14(火)9回目予定
19:00~20:00

火曜日の夜に固定されると、生活のリズムができるので、1週間後ではなく、ここに入れてもらった。

※先方都合によりキャンセル
「一大決心による新たな試みが、先方都合で中断してしまった件」
https://flowerhill873.blog.fc2.com/blog-entry-331.html
参照のこと


☆案外と早く回復されたようなので、1週間後に予約を入れてもらう。

1/21(火)9回目
19:00~20:10

※あれほど心配したのに、結局、1週間休んだだけで再開できた。やれやれ。

1/28(火)10回目
19:00~20:10

※アイツのことに関し、まだ、こんなにも激しい思いが残っていたとは。
やはり、他者に、専門家に聴いてもらうというのは、明確に違う。

2/4(火)11回目
19:00~20:00

2/11(火)12回目
19:00~20:00

祝日も、やっているんだ……。

※やはり、キチンと聴いてもらうと(←ここが大事。そうでなければ意味がない)、自分の中だけで考えていてはわからないことが、わかる。気づけないことに、気づける。
そういうものだ。
どんな天才外科医も、自分自身の手術はできないように。自分自身の心も、また。

2/19(水)13回目
19:00~20:00

2月のこの週以降は、平日の夜に空いている日がここしかないというので、2/4には、次々回の予約も入れてもらった。

※今回、あらためてつくづくと実感した。

私がやろうとしていること、取り組んでいることは、ずっと心の奥底に押し込められていた心の問題を探し出し、それと向き合って、解きほぐしてゆくこと。
今を乗り越えていくために必要なのは、そうした複雑で困難な営み。長い時間と労力をかけ、じっくりと腰を据えて、取り組まなければならないもの。

お手軽に「症状」だけをどうにかしようとするような、認知行動療法などとは、根本的に異なるものだ。
だから、たかだか数カ月で、目に見える変化が現れないとか、「症状」が軽減されないとか、それは、当たり前のことなのだ。
元々、そういう速効性を求めるのは、誤りであるアプローチであるのだから。

2/29(土)14回目
13:00~14:00

2月の最終週は、平日の夜は空きがなく、土曜日しか空いていないというので、この時間に入れてもらった。
最低でも、1週間に1回が望ましいのだが、仕方がない。

3/10(火)15回目
19:00~20:00

やはり、1週間ごとの予約は取れず、次も10日後となった。次で15回。早いのか遅いのか。まだ、なのかもう、なのか。
何にせよ、少なくとも、無駄ではない。意味はない・価値がない、ではない。
焦らずに、共に積み重ねてゆこう。

*実行後の覚え書き*
こうやって、「本物」を受けてみると、20代後半に受けたものが、いかに紛い物にすぎなかったのかを、痛感する(ただまあ、あの時のアレは、卒業してパート勤務を始めるという、表面的な行動の改善≒社会復帰には有効だったのであるから、無駄ではなかったのだが)。

そうした紛い物しか知らなければ、「こんなものを受けたって、なんにもならない」とか、「高額な費用を払ってまでやる価値はない。それに見合う効果は得られない」と思ってしまうのは、無理からぬことだ。

だが、あの頃は。市内には、あそこしかそうしたものを受けられる場がなかった。
だから、たとえ代用品の紛い物でも、それを選ぶしかなかったのだ。東京まで通うわけにはゆかなかったから。
在京中に受けられなかったことが、返すがえすも悔やまれる。

それでも、たとえどれほど時機に遅れても、遅きに失した感があっても、今からでもやることは、決して無駄ではないと思う。

3/17(火)16回目
19:00~20:00

*「彼女」とのことは、3回かけても、まだ、もう少しかかりそうだ。
本当に、彼女とのことは、私にとってそれだけの深い傷であったようだ。
彼女が放った棘だらけの言葉のツルは、30年以上かけて伸び続け、私の人生に複雑にからみつき、食い込んで、私を縛っていた。その支配から脱しなければ、私は自分にとって最も大切なことを十全に行えない。博士論文も書けないどころか、そのための研究・考察すら行えない……状況になっていたのであるから。

こうなってしまったら、もう、自分だけで洞察してわかっても、それだけではどうにもならない。やはり、「人は、人によりてのみ」なのである。

3/24(火)17回目
19:00~20:00

*咳が出はじめたので、時々咳き込みながら。

「彼女」とのことは、とりあえず今回で完了。
とはいえ、もう既にかなりの部分は私の内部で終了しており、あとはキチンと聴いてもらえさえすれば済む、仕上げの段階にさしかかっていたのだと思う。

そうした意味では。
かつて、あるブログのコメント欄で、「私の中の彼女」という表現に着目して、その意味を解釈(自分の一番の断罪者は自分自身)してくれた方に、感謝である。
その時点では、その意味が理解できなかったが、少し経ってから、その意味するところがわかり、納得することもできた。
私の心のあり方に難癖をつけてくる、クサシ屋の「私の中の彼女」は、既に私自身の一部でしかない─いわゆる内面化された存在である─のだと。

その理解こそが、「私の中の彼女」の呪縛を振り払ううえで、何よりも重要なことであったから。

その方が、このブログを見てくださっているのかは、わからない。
それでも、この場で、感謝の念を明確に表明しておきたいと思うのだ。
(他の方に他の場所でしてもらったことについて、この場で語るのも変だが、ここ以外に書きようもないので、ここに記すことにする。)

3/31(火)18回目
19:00~20:00

あいつや彼女のことにせよ、今回の、あの婦人科にいた精神科医のことにせよ、もう30年以上も前のことであるというのに。
まるで、昨日のことででもあるかのように、鮮明に覚えている。あの時の侮辱されたという感じ、屈辱と怒り、心の痛みと悲しみは、今でもハッキリと、私の中に残存していた。
私にとっては、少しも過去のことになっていなかった。

引きずっている、心がそこに残っている、というようなことではなく(この表現ならば、少しは前に進んでいることになるから)、私の心は、それらの件に関しては、それが起きた時に留まり続けていた。私の時は、そこで止まっていた。そこから一歩も前に進めていなかったのだろう。

結局のところ、これほどに深い傷は、時が解決してくれるとか、時間の経過とともに癒されるなどということはない。これらの傷は、そんな生易しいものではなかったのだろう。
セルフケアなどでは追いつかず、キチンとした専門家のケアを受けなければ、正しく癒すこと、乗り越えることはできなかったのだ。
そのことを、ハッキリと思い知った感がある。

自分で何とかしようと、無駄なあがきをしていないで、サッサと他者の援助を受けていればよかったのに。何で、変な意地を張っていたのだろう……というものである。

やはり、ある程度を越えて深刻な心の問題は、精神療法の自学自習(自修)やセルフケアでは、どうにもならない。
自分で自分の身体をつかんで、上に引っ張りあげることはできないように。どんな天才外科医でも、自分で自分のオペはできないように(そういえば「私、失敗しないので」のあの女性医師も、自分が病気の時には、他者のオペを受けていた)。
「人は、人によりてのみ」なのである。

でも。今のこの国では。
信頼できる、本物の専門家・治療者を見つけることが、容易ではないからね……。

4/7(火)19回目
19:00~20:00

基本的に同じことに関する話でも、状況が深まってくると、そこから得られるものが変わってくる。
つまり、やはり。キチンとした時間をとって、適切な頻度で定期的に継続してゆくことが、効果を高めるためには必要だということだ。
1、2回試してみただけで、「こんなもの、何の役にも立たない」と決めつけてしまうのは、誤りとは言わないまでも、正しくないということだ。

*相手の方の機関は、所在地が東京都である。
そのため、緊急事態宣言を受け、対面での施行を全て中止し、電話かネット会議システム利用に切り替えるとのこと。
私は、元々電話だから影響ないけれど。

その話を同僚にしたら(私が、そこで受けているということは伏せて)、「精神療法は、別に不要不急以外じゃないからね……」みたいな反応が。
いや、本当に文字どおり死活問題、生きるか死ぬか……の瀬戸際で、精神療法を受けている人だって少なくないでしょう。

何かやはり、一般の人は、その辺の認識が甘いのかな……と感じた。
普段の会話などから、どちらかと言えば、精神疾患やメンタルケアといったものに理解がある部類に属する方だと思っていたから、少しショックである。

4/14(火)20回目
19:00~20:00

こうやって定期的に、本格的に取り組みはじめてつくづくと思うことは、「心の問題は、(放っておいても)時が解決してくれる」という言説は、決して正しいとは言えないということだ。

もちろん、時が解決してくれるというケースも、少なくないことは確かだ。解決を月日の経過に委ねるしかないという問題も、確かに存在する。

だが。ただ放置していては、何十年経っても何も変わらないこと、キチンと対処しなければ解決できないこともある。逆に言えば、そうした、何年経っても変わらないことも、適切な対処をすれば、解決できるということだ。

そう。ある程度の傷ならば、放置していても、自然に治る。
だが例えば、非常に深い切り傷は、傷口を縫合でもしなければ、自然にふさがることはない。適切な手当てをしなければ、いつまで経っても傷口は開いたままで、癒えることはない。何年経ってもズキズキと痛み、血を流し続ける。

満身創痍になった時には、無理に一人で何とかしようとがんばらなくても、癒し手・治し手の力を借りても構わないのだと。
もちろん、治すのは自分自身の治癒力であったとしても、専門家に援助を求めることは、決して悪いことではないのだと。

4/21(火)21回目
19:00~20:00

2つの点について、最近、変化してきたと感じることがある。
それが、この営みの成果なのか否か、まだ確実ではないから、明記はしないけれど。

この営みは、効果の判定が難しい。なぜなら、それを受けた者に変化が生じたとしても、その変化はこれがために生じたのであって、他の何かによるのではないと、立証することが困難であるから。

そう。例えば認知行動療法のように、表面的な症状そのものを、直接的に何とかしようというアプローチであるならば。その成果・効果は判定しやすい。エビデンスも得やすいというものだ。

だがこれは、そのような個々の症状にアプローチするものではない。表面的な問題と取り組み、その解決を目指すのではない。
そうした表層的なものではなく、深層に働きかけるもの。もっと根本的な問題に取り組み、その人を根底から変えてゆき、その結果、症状もよくなってゆくといった方向性のものである。

そうであればこそ。このアプローチは、日常生活・社会生活を、それなりに送れている人が対象となる。
生活できないほどに症状が重かったりする人は、即席で効果が得られるアプローチの方が望ましい。
じっくりと腰を据えて、その人を根本から変えていこうなんて、悠長なことをしている暇はない。

その辺りの適応を間違えると、「○○なんて何の効果もない。何の役にも立たない……」といった誤解が生じてしまうのだろう。

4/28(火)22回目
19:00~20:00

やはり、森田療法の専門家(森田療法学会認定心理療法士の資格所持)の方にしてよかった。
30年以上、誰にもどこにも相談できなかった……というか、相談しても相談内容を理解さえしてもらえなかったことについて、的確な答えが得られるから。
30年前、いやせめて20年前に、森田療法の専門家に相談できていたら、もう少しマシな「現在」を獲得できていたのだろうが。こればっかりは、仕方がない。
森田療法に出会ったおかげで、5割は治せた。だが、複雑な病態であるがゆえに自学自修では行き届かず、専門家の指導を受けるのが望ましかったのに、それを得ることができなかったから。
専門家の方からすると、不必要な苦労─必要以上に苦痛を感じて治療実践をすること─を続けても、それほど効果が得られないという、酷い年月を過ごすことになってしまったわけだ。

何か。そうやって、ひとりで一生懸命、死にものぐるいで苦行を重ねてきたこと。治すためにはこの道しかないのだと思い込んで、できない無理を無理矢理に続けてきたこと。そんな風にがんばってきた自分が、妙にいとおしくなってしまった。本当によくがんばったねと、ほめてあげたくなってきた。
森田療法をやる人は、みんな、こういう苦行をするのだと思っていたけれど。キチンと指導を受けている他の人は、ここまで苦労してがんばったりはしないのだと。自分は、特に(その必要もないのに)苦労してきたのだとわかったら。その努力を、肯定的に評価してあげたくなった。

決して、無駄な努力をしてしまって損をした、とは思わない。
ただ、「客観的に見て、自分は人一倍がんばってきたのだ。自分の努力が足りなかったから、今まで治らなかったわけではないのだ」とわかって、自己否定の念が薄れたのだ。自己認識というものが、大きく変化しつつあるのだ。

5/5(火)23回目
19:00~20:00
GWでも、ご希望に応じてやってくれるという。
やってもらう方はうれしいが、休みが少なくて大丈夫なのかと、心配になってしまったりもする。


自分で、「この療法ができる治療者にかかろう。それができるのであれば、医師でも心理士でも構わない」と思って始めたことだから、受けている療法に関しては、不満はない。
ただ時々、やはり大きな病院で医師にかかりたかったよな、と思ってしまうことがある。
自分の身体の状況について、身体医学の専門家(精神科医であっても、医師国家試験は受けているのだから)である医師に相談し、必要に応じて検査もしたり……ということができれば、理想的なのだと。
いや別に、自分には何か身体的な病気が隠れているのでは……とか、そんなことを疑っているわけではない。そんなことを考えたことは、発症以来一度もありはしない。
そういうこととは別の次元での、「身体的な状況に関する相談」なのだが。
医師では、私が何を相談しようとしているのかすら、理解しようとしない─その手の病人の、よくある思考パターンに当てはめることしかしない─のであるから、仕方ないわけだが。

少なくとも、こんな田舎に住んでいたのでは。
神奈川辺りの大きな精神科病院のように、週に1回ずつ50分のフォーマルな精神療法を、キチンと話も聴ける医師が行うなんてことは、あり得ないのだから。
さすがに、会社勤務をしている今の状況では、そこまで通うことはできない。

5/12(火)24回目
19:00~20:00

いつもは、翌日か翌々日には追記をするのに、今回は週末の休みに入ってからになってしまった。
仕事の方が、また立て込んできたせいと、セカスクの僧侶系で100位以内に入るためのプレイに、多大な困難を要したせいだと思う。
そう。私が1日に使える心身の労力・気力には限りがある。これに力を注げば、あちらに手が回らなくなる。何を第一にして何を捨てるかの取捨選択が、自然になされてしまうということだ。

やはり、森田療法の専門家の先生から見ても、私の身体「症状」は微妙なところがあり、ひたすらに森田式で行くのが適切なのかどうかは、簡単には決められないようだ。

「<身体が苦しい・辛い>ということも、事実として認めてよいのだ」という保証が得られると。
今まで私を苛んできた、「森田療法の実践のあり方が中途半端だったから、いつまで経っても症状を乗り越えられないんだ=いつまで経っても治らないのは、森田の実践をキチンとやらなかった自分が悪いんだ」という思いから、解放されるように思う。

5/19(火)25回目予定
19:00~20:00

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テーマ : 医療・病気・治療
ジャンル : 心と身体

Tag : 精神療法  精神疾患  森田療法  介護  非正規 

C

omment

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| 2019/10/21 09:13 [ 編集 ]

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| 2019/10/22 01:02 [ 編集 ]

Re: 10/21非公開コメントさん
応援、ありがとうございます。励みになります。

ただ、私が始める決意をしたことの具体的内容は、ご想像とはかなり違っているのではないかと、不安を感じます。
実際のところを紹介したら、「何だ、そんなことだったのか」と、ガッカリされてしまうのではないかと(そういった不安とのつきあい方は、マスターできているので、問題ないのですが)。

あと、私が今回行うことは、それ自体が目的ではなく、特定の目的を果たすための手段にすぎません。
その目的を達成するためには、やはり、どれ程高額な費用がかかろうとも、この道しかないと思うに至ったので、それを選択した……という感じです。

ハナさん* URL | 2019/10/22 16:10 [ 編集 ]

Re: 10/22非公開コメントさん
お久しぶりです。コメント、ありがとうございました。

やっていることは、抽象的な言葉にしてしまえば同じでも、その実際──それに費やされる時間とか、個々の行為の負担とか──は、比べものにならない程、(今は)私の方が楽でしょうけどね。今はまだまだ、自分のための時間も、かなり取れますから。

まぁ、詳しいことは、具体的な詳細を明かしてからのお楽しみ……ですね。
上のリコメでも記しましたが、ガッカリされてしまわないように……。

ハナさん* URL | 2019/10/22 16:20 [ 編集 ]

はじめまして
はじめまして(^^)いつもこちらの記事の更新を楽しみにしています。私のほうのブログにも時々お越しいただいてありがとうございます🙏😊

身体的なことだともしかするとピーター・A・ラヴィーンさんのソマティック・エクスペリエンスという療法に関する本が参考になるかもしれません💡私自身も今勉強中なんですが、身体が固まっていて緊張しやすかったり、痙攣したり、そういうものも記憶の問題を解決することで解決するらしく、画期的です😳✨

いきなり差し出がましいコメントですみません🙏🙇‍♀️同じように自分で自分の状態に取り組んできて悩んできたので、ついコメントしてしまいました🙏今取り組んでいらっしゃることも順調なようでよかったですね!✨ますますうまくいきますように🙏✨

haakunmama URL | 2020/05/09 16:19 [ 編集 ]

Re: はじめまして
コメント、ありがとうございました。

> いつもこちらの記事の更新を楽しみにしています。

そうなのですか!(←こういう言葉は、真に受けてしまいます。外交辞令とかではないと。単純ですね)
重ねてお礼を申し上げます。
Yahoo!ブログからFC2に引っ越してきて、1年近くになりますが、こちらでは読者の方からのリアクションが少なくて、かなりブルーな気分になっていたので、そう言っていただけると、とてもうれしいです。

> 身体的なことだともしかするとピーター・A・ラヴィーンさんのソマティック・エクスペリエンスという療法……

アドバイス、ありがとうございます。
とりあえず、ネットでこの療法の概要を調べてみました。
残念ながら、私自身の「問題」とは、方向性が少し異なるようです。
この記事の追記では、自分の覚え書き程度の記述で済ませ、詳しい説明をしていないため、読者の方には、私の状況がうまく伝わらなかったのだと思います。

> いきなり差し出がましいコメントですみません

そのことがおわかりでも、それでもあえて、よさそうな療法のことを、この人に伝えたいと思ってしまう。
そうしたことは、私にも覚えがあります。そして、そうした思いから書き込んだアドバイスを拒絶されて、善意を踏みにじられたように感じ、辛い思いをしたことも。

たとえ、結果的にやや見当外れであったとしても、真摯な思いから発したアドバイスであれば、私は、とてもうれしいと感じて、受けとります。
健常者が、愚かな病人を教え導いてやろうとするような、上から目線のご指導でなければ。

私自身の治療のうえでは、あまり有効ではないかもしれなくても。心理療法のセミプロとしては、新しい療法の情報はとても貴重で、興味深いものでした。

2000年頃から10年近く、心理療法の類いと縁を切っていたので、かつて学んだ知識が更新されずに古くなり、新しい療法についても知らないことが多いのです。
教えていただいて、ありがとうございました。

これからも、よろしくお願いいたします。

ハナさん* URL | 2020/05/10 01:35 [ 編集 ]


そう言っていただけてよかったです(^^)
私自身、この療法の情報に辿り着いたのがごく最近なんですが、本当に全く新しい切り口で、人類の叡智に感動を覚えました✨本好きの方、同じような知識を学んでいる方とこの感動を共有したいという気持ちがついつい強くなっていて😅💦仲間探しをしています😂
あたたかいお返事、ありがとうございました😊
こちらこそ今後もよろしくお願いします😊🙏

haakunmama URL | 2020/05/10 15:51 [ 編集 ]


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rackback

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プロフィール

ハナさん*

Author:ハナさん*
2019.5.26付けで、Yahoo!ブログから移行してきました。
上記日付より前の記事は、Yahoo!ブログで書かれたものです。

*代用ゲストブックあり
「カテゴリ」からどうぞ

〔ブログ紹介文〕
誰もが、たやすく発信者となれるネット時代。

文章で社会改革ができると思い込んでいたのは、若さゆえの過ちにすぎない。
けれど。
それでもまだ私は、文章を公表することは、無意味ではないと信じたい。

私がここに記すのは、単なるつぶやきの類いではない。
社会に向かって訴えたいこと、公表する意味があると思えることのみだ。
若い頃のように気負い込んで、大声で叫ぶことはできないけれど。

病病介護の日々においても、光を求めて!

〔自己紹介〕
精神疾患(身体症状症〔身体表現性障害〕)歴38年。
校正者として、非正規雇用勤続26年。
アニメーションの研究で修士号取得。
博士号は、論文が書けずに未取得(博士課程・単位取得満期退学)。
現在、博士論文のテーマを再検討中。専門は、巨大ロボットものの予定。

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