02.11
病病介護川柳・24:寝過ぎるは 足りないからか……
寝過ぎるは 足りないからか 違うのか
*平日は、どんなに辛かろうととにかく起き出して、会社に行くことができる。朝起きられないからといって、欠勤したことはない。
だが、休日などの勤務のない日は、夕方になるまで起きられない。母をどこかに連れていく予定は、どうしても外せないものであれば必死で守るが、そうでなければ見送ってしまう。
特に、勤務の関係で疲れがたまっている感じの時は、休日の朝に起き出すのが、辛くてたまらない。
母を通院させるために有給休暇を取った日ですら、(その通院が是非とも必要なものではないがために)朝起きることができず、予定を果たせないことが続いた。
それゆえに、母を4カ月も外出させられない結果になってしまったのだ。
そして、ようやく土曜日の朝に起きることができ、母を歯医者に連れていくことが2回続いたら。
その次の日曜日は、15時間以上も睡眠を取らねば、起き出せない状態になってしまった。
「身体そのものには、何の病気も存在しないのだから、疲労感とか睡眠不足感は、単なる『感』でしかない。健康人の平均的な睡眠時間以外は、普通に起きて活動するのが、治すための唯一の道である」と、自分に言い聞かせてがんばりすぎたら、無理がたたって、身体の病気で死にかけたことがある。
「無理だと思っているのは自分だけで、実際は少しも無理ではない」というのは机上の空論で、私の身体の実際にとっては、それはやはり、無理なことであったようなのだ。
それ以降は、いくら身体に病気が存在しないからとはいえ、体力や体質には個人差があるのだからと、少しは自分の主観も信じることにしている。
「体調と相談してはいけない。身体がどんなに辛くても、身体の病気でない限りは、なすべきことはなさねばならない」という森田療法理論の教えに従うばかりが能ではないと、ケースバイケースの実践をしている。
けれどやはり。
ひどく疲れがたまっている感じがする時に、無理はしないで休んだ方がいいのか、疲労感はそのままにして治療実践をがんばった方がいいのか、はっきり言って、わからないことが多い。
睡眠にしても同様だ。
まだ寝たい感じなのは、睡眠が足りていないのだから、寝た方がいいのか、無理して起き出した方が、治療のためにはよいのか、わからない。
本当に、どちらなのだろうか。
この件については、専門医に相談しても、相談の意味内容を理解してもらうことすらできなかった。
だから今でも、身体の声に従って休んだり眠ったりしてしまった後で、もしかしたら治療のためには望ましくないことをしてしまったのか、こんなことをしているから治らないのかと、罪悪感に近いものを感じる始末である。
たとえ、身体には何の異常も存在しなくても、何らかの理由で異常なほどに疲れがたまったり、長時間の睡眠を必要としたりしてしまうケースも、ないことはない。そう理解しても、構わないのだろうか。
あるいはもしかすると私は、ロングスリーパーなのか、とも思う。
いずれにしても、専門家に相談したところで、「己の病気が心因性のものだと認められず、何か身体的な問題があるのではないかと言い張っているのだ」と、決めつけられるばかりなので。
こんなところで、ふとつぶやいてしまった次第である。
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