07.22
治ったのではなく、再発しても治療不能なので、経過観察終了?
これまでは、経過観察のために、3カ月おきに通院し、血液検査や画像診断を行ってきた。
血液検査の結果やCTの結果、再発の兆候がなきにしもあらず、という状態が続いていた。
だが今月のCT&内視鏡検査の結果では、とりあえず、再発の心配はないということだった。
それだけならば、めでたいことであるのだが。
今後の経過観察の頻度や、「いつまで経過観察を続けるのか」ということに関連して、冷酷な現実を知らされた。
本来なら、がん寛解後の経過観察は、5年間続けるものであるという。
こまめに経過観察をして、もし再発が認められたら、早めに治療をし、何とか治そうとするわけだ。
だが母の場合は、心身及び認知機能の低下ゆえに、たとえ再発しても、もはや治療はせず、自然の経過に任せるしかない(いわゆる緩和ケアはするであろうが)というのである。
だから、はっきり言って、こまめに経過観察をする意味がない。むしろ、検査に伴う身体への負担の方が問題であり、そうした負担を減らすためにも、経過観察は終えた方がよい。
そういった事情で、次回の通院は1年後となった。それも、ただ、再発の有無を確認するため「だけ」のものである。
再発が認められたら、治療を開始するわけではないのだから、一刻も早く再発を知る必要もないのである。
度々通院したり、検査をする必要がなくなれば、私の負担は減る。それは、喜ばしいことだ。
だが、デイサービスの類いを拒否し続ける母にとって、通院は、唯一の外出機会であった。
それが減ってしまうということは、外出のさらなる減少を意味する。そうなると、体力の低下に拍車がかかってしまう可能性が高い。
そしてやはり。
「再発しても治療不能」を宣告されたことは、何というか、「医療に見捨てられた」という印象を受けてしまっている。
例えば「高齢者のがん治療アルゴリズム」(http://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/all/cancernavi/report/201106/520179_2.html)などの資料を見れば、母の現況では、そうした見立てになってしまうのは、仕方のないことだと思う。
血液検査の結果からうかがえる、内臓機能の低下は、80代後半としては、それほど珍しいことではないだろう。
だが、脊柱管狭窄症に由来する歩行困難による、著しい体力の低下は、かなり問題である。
さらに、認知症による認知機能の低下は、治療方針の決定や治療の実施において、大きな妨げとなる。
もはや、抗がん剤治療には耐えられない─苦痛ばかりが強くて、効果が認められない─し、医師の説明を理解できず、治療に関する意思決定もできない。
それでは、治療をしないで、自然のなりゆきに任せるしかないのは、確かである。
それでも、今は何となく、モヤモヤした思いが残る。
再発していない現段階で、この件について考えるのは、取り越し苦労でしかない。はっきり言って、意味のないことだ。
それでもやはり、経過観察が終了したことを、素直には喜べない私がいる。
- 関連記事
-
- 2年ぶりに、母にシャワー浴をさせることができた件 (2022/06/26)
- 母の義歯が見つかった件:アンダークラス短歌 (2022/02/13)
- 母の糖尿病は、放置しても悪化していなかった件 (2020/12/12)
- 治療をし過ぎないということ──母の糖尿病に対する方針決定! (2019/09/07)
- 母の悪性リンパ腫に再発の兆しなし。けれど…… (2019/08/25)
- 治ったのではなく、再発しても治療不能なので、経過観察終了? (2018/07/22)
- 意外と健脚? (2017/09/10)
- 母の誕生日を祝いたい (2017/03/26)
- やはり薬は両刃の剣─母の近況報告その6─ (2017/02/25)
- 退院はしたけれど―母の近況報告その5― (2017/01/08)
- 単なる知識も役に立つ―母の近況報告その4― (2016/11/23)