40年近くかけて神経症性障害を乗り越えたものの、母親の介護で大変な日々の思いを発信しています。アニメの研究による博士号取得は、しばらくお休み。

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治ったのではなく、再発しても治療不能なので、経過観察終了?

母の悪性リンパ腫治療(化学療法+放射線療法)が終了し、寛解が認められてから、2年近くが経過した。

これまでは、経過観察のために、3カ月おきに通院し、血液検査や画像診断を行ってきた。
血液検査の結果やCTの結果、再発の兆候がなきにしもあらず、という状態が続いていた。
だが今月のCT&内視鏡検査の結果では、とりあえず、再発の心配はないということだった。
それだけならば、めでたいことであるのだが。

今後の経過観察の頻度や、「いつまで経過観察を続けるのか」ということに関連して、冷酷な現実を知らされた。

本来なら、がん寛解後の経過観察は、5年間続けるものであるという。
こまめに経過観察をして、もし再発が認められたら、早めに治療をし、何とか治そうとするわけだ。

だが母の場合は、心身及び認知機能の低下ゆえに、たとえ再発しても、もはや治療はせず、自然の経過に任せるしかない(いわゆる緩和ケアはするであろうが)というのである。

だから、はっきり言って、こまめに経過観察をする意味がない。むしろ、検査に伴う身体への負担の方が問題であり、そうした負担を減らすためにも、経過観察は終えた方がよい。

そういった事情で、次回の通院は1年後となった。それも、ただ、再発の有無を確認するため「だけ」のものである。
再発が認められたら、治療を開始するわけではないのだから、一刻も早く再発を知る必要もないのである。

度々通院したり、検査をする必要がなくなれば、私の負担は減る。それは、喜ばしいことだ。
だが、デイサービスの類いを拒否し続ける母にとって、通院は、唯一の外出機会であった。
それが減ってしまうということは、外出のさらなる減少を意味する。そうなると、体力の低下に拍車がかかってしまう可能性が高い。

そしてやはり。
「再発しても治療不能」を宣告されたことは、何というか、「医療に見捨てられた」という印象を受けてしまっている。

例えば「高齢者のがん治療アルゴリズム」(http://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/all/cancernavi/report/201106/520179_2.html)などの資料を見れば、母の現況では、そうした見立てになってしまうのは、仕方のないことだと思う。

血液検査の結果からうかがえる、内臓機能の低下は、80代後半としては、それほど珍しいことではないだろう。
だが、脊柱管狭窄症に由来する歩行困難による、著しい体力の低下は、かなり問題である。
さらに、認知症による認知機能の低下は、治療方針の決定や治療の実施において、大きな妨げとなる。

もはや、抗がん剤治療には耐えられない─苦痛ばかりが強くて、効果が認められない─し、医師の説明を理解できず、治療に関する意思決定もできない。
それでは、治療をしないで、自然のなりゆきに任せるしかないのは、確かである。

それでも、今は何となく、モヤモヤした思いが残る。
再発していない現段階で、この件について考えるのは、取り越し苦労でしかない。はっきり言って、意味のないことだ。

それでもやはり、経過観察が終了したことを、素直には喜べない私がいる。
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テーマ : 医療・病気・治療
ジャンル : 心と身体

Tag : 悪性リンパ腫  脊柱管狭窄症  認知症 

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プロフィール

ハナさん*

Author:ハナさん*
2019.5.26付けで、Yahoo!ブログから移行してきました。
上記日付より前の記事は、Yahoo!ブログで書かれたものです。

移行から2年経過したのを機に、ブログタイトルを変更いたしました。
あわせて、紹介文も更新。

*代用ゲストブックあり
「カテゴリ」からどうぞ

〔ブログ紹介文〕
誰もが、たやすく発信者となれるネット時代。

文章で社会改革ができると思い込んでいたのは、若さゆえの過ちにすぎない。
けれど。
それでもまだ私は、文章を公表することは、無意味ではないと信じたい。

私がここに記すのは、単なるつぶやきの類いではない。
社会に向かって訴えたいこと、公表する意味があると思えることのみだ。
若い頃のように気負い込んで、大声で叫ぶことはできないけれど。

病気ではなく、障害でもなくても。諸々と生きづらい、おひとりさま介護の日々においても、光を求めて!

〔自己紹介〕
高校1年で発症した神経症性障害(身体表現性障害[身体症状症]その他)を、40年近くかけて乗り越える。
校正者として、非正規雇用勤続30年。数年前から校閲の仕事も行う。

1990年代、森田療法の研究で学士号取得後、カール・ロジャーズの直弟子が講師であるカウンセラー養成講座で単位取得。
地元の民間心理相談機関でセラピストのインターンとなり、各種心理療法を学修するが、自分は援助職には向いていないことを痛感。

アニメーションの研究で修士号取得。
博士課程・単位取得満期退学。
現在、博士論文のテーマを再検討中。専門は、巨大ロボットものの予定。

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